2018年の3つのリアリティとは
新年明けましておめでとうございます。2018年も皆様や社会にとって良い1年になるようお祈り申し上げます。私もコンサルティング、執筆活動、大学の非常勤講師、そして社会活動等、貢献できる範囲拡大と深堀りを進めていきたいと思いますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
毎年恒例の年初のコラム、ご一読いただけると幸いです。今回は、今年2018年を特徴づけると私が認識している、以下の3つのリアリティについて述べたいと思います。
2018年の3つのリアリティ
① プロアマの境目がなくなる。自分のスキルポートフォリオが重要になる
② 機能合理主義の縦割り組織から、心が繋がるコミュニティベースの仕事に変化する
③ 制度やルールに則ったリーダーではなく、ガキ大将的な人間くささが魅力を持つ
■写真家Stephen Shore(スティーブン・ショアー)が写す、生きることのリアリティ
2017年の年末、プライベートで米国ニューヨークを訪ねました。ニューヨークは世界最大級の都市で様々な魅力がありますが、その中でも最新のアートや芸能分野のレベルの高さ、面白さは他の都市とは比べようがないと思います。今回もジャズやミュージカルなどを時間の限り楽しんできましたが、ニューヨーク近代美術館(通称MoMA)では、Stephen Shore(スティーブン・ショア)の写真を観ることができました。この40年ほどの間の、米国庶民の生きる姿や、都市、地方の風景などを撮影した展示でした。政治的メッセージがあるわけでもなく、また被写体の美しさや珍しさなどがあるわけでもなく、何の変哲も無い人や風景がほとんどの、いわゆるストリートフォトです。個人的にはこういった写真が大好きです。
左:andy warhol on fire escape of the factory, 231 east 47th street, 1965-7, © stephen shore
右:John Cale, Jan Cramer, Paul Morrissey, Nico, Gerard Malanga, 1965-7, © Stephen Shore
i-D Japan「【インタビュー】米有名写真家スティーブン・ショアが「インスタグラムで表現する理由」より引用
こうした70年代、80年代の米国を人や街から写した写真を見ていると、ベトナム戦争、高い失業率など、米国の人々にとっては決して良い時代だったとはいえませんが、どこかにみな希望や夢、楽しさ、明るさがあったように感じました。いつの時代も、生きることのリアリティとは決して不幸だけでなく、また幸せだけでもありません。常に陰と陽がそれぞれユニークに混在しているのだと思います。その個々の人や街に存在する陰陽の大きな文脈とその変化が、世の中のトレンドなのだと思いました。
私の性格もあってか、その時々のニュースや年末に振り返りまとめられた様々な出来事にはあまりリアリティを感じません。しかし、人の心情や街の風景などにはリアリティを強く感じます。スティーブン・ショアの写真展でも、政策、法律、金融経済などの歴史資料でのアメリカよりも、こうしたその時代の空気感、生きた人の気持ちにリアリティを感じ取ることで、自分自身の中で初めてアメリカを体感できました。
過去や現在だけでなく、時代の先を読むのも同じだと思います。理論、方法論、手段ではなく、自分の肌感覚で時代の先のリアリティを読むことが重要になってきていると思います。
今年2018年は、我々にとってどのようなリアリティを持つ年になるのでしょうか?私の仕事柄、ビジネスや企業経営といったことが中心になりますが、いくつかお話ししたいと思います。
① プロアマの境目がなくなる。自分のスキルポートフォリオが重要になる
AI(人工知能)の普及でなくなる仕事リストがよく話題にあがります。確かに、機械的な作業はAIに取って代わられると思いますが、単純に全てAIに置き換えられ、なくなることはないと思います。どのような仕事でも、顧客の個別の問題や課題に合わせた独自性が必要とされます。
AIのようなものが普及する将来、私たちはどのような働き方をするべきなのでしょうか。
まず、AIをはじめ様々な合理化で生産性が高まり、人が関わる仕事時間は減ると思われます。また仕事の内容や質も大きく変わり、単なる作業的なものは減り、新しいことを創造する仕事の割合が多くなります。
そのような変化から、少し時間はかかるかもしれませんが、一つの会社や組織で一つの仕事をするような、これまでのワークスタイルはどんどん減っていくと思います。そして、複数の企業で仕事をする人が多くなると思います。最近では、大手上場企業ですら副業を推奨し始めました。その多くの理由が、業界や会社の過去のしがらみにとらわれない社員の創造性を育成すること、すなわち外部ネットワークづくりです。
サラリーマンで副業はしていないけど、趣味やボランティア、サークル活動などでプロ並みの力を発揮する人たちはたくさんいます。最近そういった人たちの中には、大学教授、コンサルタント、企業内スペシャリストと呼ばれている、その分野でお金を稼いでいる専門家やプロよりも勝っている人が目立ってきました。プロとアマの境がなくなってきているのです。むしろ専門家やプロが持ち合わせていない独自の視点を持っていることが多く、それが世の中で注目を集めたりしています。
さらにそういった人を後押しする仕組みがたくさん出てきています。その大きなうねりの一つが、シェアリング・エコノミーです。自分の空いた時間で得意なスキルを活用して誰かのために働く、知識やスキルのシェアリングを推進するベンチャーなどの組織が活躍し始めています。
たとえば、「通常は会社で知財業務に携わっていますが、副業で知財コンサルタントや研修講師を行い、中小企業を支援して、今年大学の先生達と書籍を出す」「趣味で始めたサーフィンの国際大会で優勝し、スポンサーが10社ついている。スポンサーの代理店もやっている。サーフィンの大会を開催する世界の海は綺麗なので、写真をとってその写真でも稼いでいる。会社とは今年から契約社員に切り替えた」これは私の周りにあった本当の話です。
このように、複数の組織で仕事をすることが当たり前になる時代がすでに来ています。そこで大事になるのが、自分がどのような知識やスキルをもっているか?社外や組織外でそれがどの程度通用するか?日本、世界でトップクラスかどうか?他人が出来ない独自性があるかどうか?ということです。そういったスキルセットやスキルポートフォリオを持っていて、必要な時に即座にアウトプットとしてデリバリーできる状態になっているかどうかが要になります。
② 機能合理主義の縦割り組織から、心が繋がるコミュニティベースの仕事へ変化する
産業革命以降、企業、政府、行政など、社会のほとんどの組織は、生産性を最大化するために大量生産、大量処理、そしてそのための仕事の細分化、分業を進めてきました。それはデジタル化社会、インターネット社会になって究極まで研ぎ澄まされてきました。市場経済、資本主義はそういった機能合理主義、縦割り分業社会のエンジンです。
2017年の日本企業の業績はかなり良く、株主配当も過去最高です。しかし、働く現場はどうでしょうか。管理職の過労死や残業問題、下請けへの仕事の押し付け、そしてなにより精神疾患、いわゆるメンタルヘルスの問題を抱えた人が多くなっています。またストレスに起因した生活習慣病も増加傾向にあります。機能を徹底的に追求した結果、世界中で都市化が進み、地方の荒廃が進んでいます。少子高齢化も日本だけでなく世界の成熟した国、都市が抱える共通問題です。
我々は確かに以前より平均的に、生活が便利で豊かになりました。しかしほとんどの人は、現在の生活や仕事の仕方に違和感や矛盾を感じているのではないでしょうか。その違和感や矛盾とは、人間がもつ本能である認知、感情、思考の限界を超えた縦割り社会の機能合理主義、市場経済、資本主義の行き過ぎからくるものが大半であると私は思います。
しかしこの機能合理主義、市場経済、資本主義を破壊して新しい社会を構築することは現実的ではありません。それらの良さを生かしつつ、新たな社会を構築していく必要があります。
この状況を変革するためには、企業をはじめ、組織が“人間”を中心においたもの、つまり人の知覚、感情、価値観を通じて人と人の繋がりを紡ぐ方向に転換を図らないといけません。企業であれば、企業組織と顧客と、従業員と、協力会社やパートナーと感情的なレベルまでの絆でつながっていることが最大の成功要因になります。
本質的な意味で、自分の価値観や感情をベースに「好き嫌い」で仕事をする時代だと思います。昨年は製造業の品質に関する不祥事が続きましたが、社員も幹部も自分個人の考えや感情を持って本音のコミュニケーションをとっていれば防げたのではないでしょうか。これも人間の感情や倫理さえも産業社会の合理主義が押しつぶした典型的な事象だったといえます。
またマーケティングの観点から言っても、最近特に顧客経験価値、つまりユーザーエクスペリエンスが重視されています。よいユーザーエクスペリエンスをつくるには、社員が顧客と同じ価値観や感情をもって発言し、仕事ができる環境が必須です。しかし現実は自分が携わっている製品・サービスをゆっくり楽しむ余裕さえないということが多いのでないでしょうか。ここでもユーザーの豊かな経験価値を創り出す人や組織が心豊かではないという現象が起こっています。
しかし現実的に「自分の考えや、好き嫌い」で本当に競争に勝てるのか?という疑問が出てくるのですが、たしかに企業や組織のサービスは、「自分の考えや、好き嫌い」だけではだめで、その裏に経済合理的な仕組みや仕掛けが入っていないといけないはずです。例えば「商品、サービスは個人的に大好きで絶対に離せない存在で、しかも便利で手頃な価格」であることが大事で、「高機能で便利で価格もそこそこ。だけど別にこの会社のモノでなくてもよい」というのは生き残っていけないと思います。それは消費財などのB2CビジネスだけでなくB2Bビジネスにも言えることだと思います。価値観や感情的な結びつきだけでもダメ、一方で経済合理性や機能だけでもダメ、企業の個性に合わせ、それらがうまく融合されていなければなりません。
そこで技術ベースの日本企業においては、技術で作りこんだ機能を人間が本来持つものである知覚、感情、価値観にいかに訴えかけていくかが勝負だと思います。ですから、これから活躍する人というのは、単に機能を生み出す技術を知っている理系的な知識・スキルだけではなく、人の知覚、感情、価値観といった文系的、文学や芸術的なものを持っておくことが必須になります。さらに知識・スキルを持っているだけではなく、実際に人や組織を繋ぎ独自のコミュニティをつくり、“コト”を起こせる人でなければなりません。コミュニティづくりは、子供時代に誰もがやっていた友達の輪づくりと同じで、頭で考えているものではなく、自分のセンスと魅力で実際仕掛けてみなければ意味がありません。
③ 制度やルールに則ったリーダーではなく人間くささが魅力を持つ
この間、若い人の中で注目されているNPO職員の方を大学の講義にお招きしたところ、大変興味深い話をしていただきました。「家で学生を呼んで飲み会をする際に、終電の時間になって、皆が『そろそろ失礼します』と言いかけたら、『帰らないで泊っていけ』と強引に呼び止める」そうです。そうすると、驚くほど距離感が縮まるそうです。私はなるほどと思いました。
パソコンやスマートフォンの普及は、大きく2つの流れをつくりました。一つは先にも挙げた機能合理主義を、ネットを通じて徹底的に先鋭化したことです。もう一つは、時空間を超えて人が繋がり、コミュニケーションができるようになったことです。
いずれも利便性が向上しましたが、人と人の距離感はむしろ広がっているケースも多いように思えます。ネットなどの普及により、機能合理的にも心理的な面でのコミュニケーションでも、個人の自由度が飛躍的に高まった一方で、本当の人間くささが失われているのではないでしょうか。人間くささとはやっかいであったり、うざったかったり、面倒だったりしますが、一度分かり合えるとなんとも言えない楽しさや高揚感があるものです。しかし、また悩みも絶えません。そういった重さを持った人と人との関係から、人格が醸成され、社会やコミュニティが形成されていきます。
企業の中でも同様です。ルールや制度、MBA的な戦略計画という極めて機能的な世界を運用する力だけでは、人・組織は動かすことは出来ません。たとえば組織の上から振ってくるムチャクチャな目標や方針に対し、それを「仕方ないな~」と無極に受けるのではなく、真っ向から反対し、別の方法でもっと高い業績を出すために、チームメンバーをまとめる理念、発想、情熱、しつこさ、時には狡猾さといった人間くさい、ガキ大将的なセンスが必要です。
ところで、「ガキ大将的なセンス」を持った人材は、育成できるのでしょうか?またそういった人はどこにいるのでしょうか?仕事上、私の感覚では、会社や職場で恵まれない組織環境にいる人達がそれにあたると思います。大企業でいうと、研究職や誰もやりたがらない新事業・新製品開発部門、クレーム処理部門、赤字事業部門などです。ベンチャー企業などは会社ごと恵まれない環境ですから、そういった経験を積むのに良い場です。
そういった苦しい組織でなんとか生き延びようともがく中で、人間くささをもった人材が育成されると思います。会社でいうと、人事や経営トップが、そういった非エリート人材こそが「使える人材だ!」と気づいているかどうかが勝負です。
以上、私なりに2018年の3つのリアリティについて述べましたが、いかがでしょうか。簡単にまとめてしまえば以下のような感じになります。
- 今まで機能合理的な世界でプロ、専門家と言われた人は、すでに通用しなくなっている可能性があるかので、気をつけてください。
- 一方、いま何か仕事をしていて、仕事とは関係ないがプロ並に活躍できるものをもった人が伸びる可能性が高い。
- つまり複数のことを有機的に行う副業社会へ変わっていく。
- そのキーは、人の心や気持ちを起点に物事を組み替え、繋いで新しい価値を生み出すことだ。
- そのとき大事なのは「人間くささ」