アショカ・ジャパン ユースイヤーズ、社会起業家 渡辺真帆氏対談 「幸福は自分で定義する時代」
グローバル社会において、国家や企業では解決し難い社会課題をしっかりと見つめ、理念とビジョンをもって解決に挑む、世界最大の社会起業家支援非営利組織「アショカ(ASHOKA)」。今回インタビューした渡辺真帆さんは、アショカ・ジャパンのスタッフとして活躍しています。渡辺さんとは、昨年2016年10月に私が担当する上智大学のスタートアップの授業で、クラスの一生徒として出会いました。当時外国語学部4年生だった渡辺さんはクラスの中で、社会課題の解決にベンチャーとして取り組むグループに所属し、都会の子どもを対象にした自然豊かな地方の学校ビジネスを企画していました。多くの4年生が皆就職の内定をもらって落ち着く中、渡辺さんは自分の意志で就職決定を保留していましたが、年末も押し迫るころ「アショカ・ジャパンに行って社会システム改革をやることに決めました」と、授業の始まる前に伝えに来てくれて、即私は「それは素晴らしい。良かったね。」と答えたのを覚えています。アショカについては、名著「チェンジメーカー」(アショカ・ジャパン代表理事 渡邊奈々著)で数年前から知っており、私も若かったらこんな組織に参画したいと思っていました。上智大学の卒業生がグローバル社会の様々な課題に正面から取り組む組織に所属することは、上智大学非常勤の一教員として本当に誇りに思います。
すでに産業界で仕事をする多くの方々は、余裕のない仕事、厳しい競争などの中で、社会的な志をもって働くことは簡単なことでないと思います。しかし私達は、そういった志をもった人たちを応援することはできます。今回のコラムでは、渡辺さんがどのような想いでアショカを選んだのか、そして将来どのようなことにチャレジしたいのかをお聞きしました。
高橋:コラムの読み手では、アショカを初めて知る人も多いと思います。アショカの詳細についてはHPなどを見ていただくとして、渡辺さんにとってのアショカとはどのような存在ですか?
渡辺:一言でいうと、社会の仕組みを変える人が集まるところだと思っています。社会の最前線を行く人たち、特に社会の課題解決に取り組む最前線の人たちが集まる場です。
高橋:その社会の仕組みとは、例えばどのようなことですか?
渡辺:分かりやすい例で言えば、ウィキペディアが挙げられます。ウィキペディアがなかった時代は、何かを知りたいときにその情報にアクセスできるのは、書籍を買うことのできる人や図書館のある都市に住む人など、つまりグローバルでみれば社会・経済的に強い立場の人に限られていました。それが、インターネットが普及しウィキペディアができてからは、誰もが知りたい情報にアクセスし、また編集・発信を通じてその情報を進化させることのできるようになりました。ウィキペディアが世界の情報の仕組みを変えたと思います。
また、デヴィド・グリーンによる白内障の3段階の手術費用システムが挙げられます。白内障はインドなどの途上国では失明の最大の原因であり、治療には手術が必要ですが、政府による無償医療サービスのレベルは低く、貧困層の人々は十分な治療を受けることができていません。そこでデヴィド・グリーンは患者の収入に応じて「無償」「実費の2/3」「実費以上」の3段階に設定した手術費用システムを開発し、病院が寄付に頼らずビジネスとして利益を出しながら、失明を免れる貧困層の人々を多く出すというように仕組みを変えることができました。
アショカが推進しているのは応急処置的なその場しのぎの活動ではなく、過去の仕組みの失敗により発生している社会課題の仕組み自体の変革支援です。その活動の中核であるソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)支援は、1980年代にアショカが世界で初めて提言し、構想ができました。アショカは、創設者ビル・ドレイトンがコンサルティング会社での勤務や米国政府(環境保護庁)での活動を経て、「社会の仕組みを変える人をつなぐ」団体として設立しました。
社会の仕組みを変える人、すなわち社会起業家の割合は数百万人に1人といわれており、一般起業家の割合である1000人に1人に比べてはるかに少ない状況です。つまり、現状の仕組みを変えるには、人材の供給が圧倒的に足りていません。アショカでは、世界をリードする社会起業家をアショカ・フェローとして認定するだけでなく、社会起業家として行動できる環境や、異なる立場の人の気持ちを想像し読み解くスキル(エンパシー)、リーダーシップ、コミュニケーションスキルなど養成する環境が大切であると認識し、フェローだけでなく若者を対象とした教育活動も推進しています。
高橋:そういった社会課題については、どこの国・政府もできていないことが多いですね。ピーター・ドラッカーは1980年代に著書「イノベーションと企業化精神」の中で、起業家、特に社会起業家の重要性について言及しています。マーケティングの大家であるフィリップ・コトラーも、1990年代に社会起業家の重要性について述べています。しかし、具体的に形となって活動しているところはまだまだ少ないのが現状です。そのような中で、アショカは一つの社会潮流を創っていると感じます。
渡辺:2006~2008年にかけて、日本でも社会起業家がブームになりました。しかし今は少し落ち着いてきています。
高橋:一般企業でもCSRなど株主に評価されるという動機でシステム・チェンジをサポートし、自らも貢献する取り組みを積極的に進めつつあり、行政でも社会起業家を育成、支援する活動が出てきました。日本でも少子高齢化、地方の過疎化、過労による自殺者の増加など多くの社会問題、課題が山積していると思います。このような状況において、社会起業家は今後、例えば20年後の日本ではどうあるべきと考えますか?
渡辺:日本では一般企業で働くことが当たり前とされていることもあり、ソーシャルセクターやシティズンセクター(市民セクター)に関わる人は少なく、層が薄い状態です。米国などの海外では、社会のための働くということはきちんと評価されていますが、日本では「ボランティアで薄給」というイメージが大半です。しかし、20年後にはソーシャルセクターで働く人が増えているだろうと思います。ソーシャルセクターで働く人が周りで30人中5人いたら現状の約15%増です。そのぐらい増えているべきと考えます。
高橋:ボランティアとソーシャルセクターの違いとはどのようなものですか?
渡辺:ボランティアはほぼ無給での仕事と定義しています。
高橋:ソーシャルセクターは、社会的な存在として認められて、且つ自身の生活をきちんと送ることのできる収入を得られることが前提条件と言うことですね。
渡辺:そういった考えやシステムが増えなければいけません。無給ではなく、自身の生活のためにも有給で活動できるよう、ソーシャルセクターの企業も多様化していくと考えられます。
アショカに対しても、多くのパートナー企業からの理解が深まっています。企業にとって株主から良い評価が得られるという点と、仕事を楽しめるという面で社会起業家の働き方・生き方から得られることが多いと、企業経営者や幹部から評価されることも多くなりました。そういった動きが加速するかは分かませんが、一定のペースで増えていくだろうと思われます。
高橋:このような動きは加速すると私個人的には思っています。その一方で、今の学生の就職活動を見ても解りますが、日本の社会全体の風潮として、ソーシャルセクターで仕事をするほど気持ちの余裕がないように思えます。また、会社の中でも社会課題解決をビジネスにすることを言い出しにくい雰囲気がある様に感じます。むしろ、組織は資本主義を機械的に研ぎ澄ませているように感じさえしますが、その点はどう思いますか?
渡辺:誰と、何のために働きたいかということが大事で、周りにもその理想を実現できていない人はたくさんいます。上司に、「社会の仕組みを変えたい」「自分がやりたいことやりたい」と意見できない実情下で幸せに働いていけるのかと、現状の企業のシステムには疑問視するところがあります。
高橋:しかし、理想を追っていると企業経営は成り立たないというのが多くの企業の姿勢です。私見ですが、行き過ぎた資本主義は薄れていく様に思えますが、それゆえに現代では多くの企業が社会の流れからズレてしまっているという風に思えます。なぜそういったことが起こるのでしょうか?
渡辺:日本では、おかしいと感じたことに個人として意見を言ったり、行動したりしない風潮があり、それには疑問を感じています。学校でも、目立つことは良くない、先生の言うとおりにすればよい、自立することや自分の意見を持つことを尊重されず、周りと同じことをすることが優先される傾向がまだあると思います。そういったマインドや文化を変えることが必要ですが、変革できる人が少なく、またそれをリードする人が育ちにくい体質があると思います。私は小学校までイギリスに住んでいたため、帰国して日本の学校に入ってから大きなギャップを感じました。イギリスでは自分がどう考えるか、自分の独自性を求められてきましたが、日本では先生の指示に従うこと、皆と同じようにすることを求められました。自分の意見を持ち、行動する習慣がつくように、日本の教育から変えていかなければならないと思います。
高橋:次世代の価値観を創っていく教育の面で、アショカの活動を通じてどのような問題意識を持っていますか?
渡辺:日本では、一般企業に入社し勤め上げるといういわゆるゴールデンパスから抜けて、社会の仕組みを変えるという自身がやりたいことができる他の道を選ぶ勇気のある人が少ないと思います。アショカのプログラムで、12~20歳までに社会的な活動を始めた人を支援する活動「ユースベンチャー」がありますが、大学進学後も続ける人は多くありません。学生と社会人は全く異なる世界であると考える人が多く、学生時代までは社会的活動に携わることができますが、社会人としての仕事は別という認識が多いと思います。そういった認識を変えなければ、社会起業家は生まれないと考え、アショカでは被災地での活動などもソーシャル・ベンチャーとして扱い、活動中の生活費を支援するなどしています。しかし、一般的には現在の日本の社会の環境では、社会起業家は生活していけないのが実情です。もっとやりたいことに挑戦していける賃金体制や支援などの仕組みが必要だと思います。
高橋:人と社会の価値観を変革していかなければならないということですね。産業社会によって豊かになり、人口も増え、経済的には安定した一方で、その目的が資産を蓄えることになってしまっている。それが未だに変わっていない。
私が学生の時、1985年に出版された「「豊かさ」の貧困-消費社会を超えて」(ポール・L・ワクテル著)という書籍を読みましたが、そこには“子供を豊かにしてあげたいという思いから一生懸命働くあまりに、子供との接点が少なくなり、子供が自分から離れていってしまう”という様子が書かれていました。自己の価値観に基づく幸せではなく、他人より金銭やモノをより多く持とうという相対的な優越感を刺激する社会をやめようということを問題提起した本で、何度も繰り返し読みました。未だにその価値基準は変わっていないということですね。
渡辺:資産を蓄えるということは幻影だと思います。ミレニアル世代の記事でよく取りあげられていますが、今の若者は車や家を持つことに関心が薄くなっています。未来が予測できないため、“今をどうするのか”を重視し、“どう幸せに生きていくか”を見る様になってきているためです。
高橋:そうすると、若い人達にはそういった新しい価値基準をベースに活躍できる場の提供が必要ですね。そうすれば大きな社会変革のチャンスが広がっていく可能性が見えてきます。アショカはそういった環境を作り出す大事な組織ですね。渡辺さんがアショカに就職することが決まった時、私がアショカを知っていたことに渡辺さんは驚いていましたね。私がアショカを知っていたのは、大学時代に恩師から社会課題解決のためソーシャルセクターで働くことを勧められていたからです。そのような経緯から、アショカの方が書いた「チェンジメーカー」や「静かなるイノベーション」という書籍を通じて、アショカを知ることになりました。
渡辺:アショカはまだあまり一般的には知られていませんし、ボランティアと思われてしまうことが多いので、高橋先生がアショカを知っていたことは嬉しかったです。海外の友人との比較ですが、日本はソーシャルセクターに入社する人は少ないと思います。アショカに所属が決まったということについても、給与がもらえているのか、また企業ではないため、社会人として就職していることになるのかといわれてしまうことが多いです。
高橋:上智大学では私達の時代から、グローバルな領域では国連に就職したり、国内では生活クラブ生協などに入社して有機農業を広めたりすることに挑戦する人も何人かいました。私は企業に入社しましたが、自分もゼミの先生が仰ったように、ソーシャルセクターに入れば良かったと若い時思っていましたから、渡辺さんが羨ましいです。
渡辺さんのバックグラウンドを振り返って、どうしてこの道を選んだのか教えてもらえますか。上智大学の学生時代には、学生団体のAIESEC(アイセック)にも参加されていましたね。
渡辺:アショカに就職した理由としては、日本の教育の改革を推進したいと思っていたからです。私は小学校時代をイギリスで過ごした経験から、イギリスの教育環境との違いを肌で感じました。もともとは日本ではなく、途上国の教育改革の活動を推進したいと考えていました。大学時代にAIESECが教育の改革について取り組んでいたので参加し、活動の一環でインドネシアに1年間、また上智大学のスタディーツアーで東北の震災復興支援“みちのくrenaissance!”というプロジェクトを実施しました。
AIESECでインドネシア滞在中は、コロンビア、フィリピンとインドネシアの異なる文化の仲間とオン・オフを一緒に過ごし、またインドネシアの若者の国を良くしたいという情熱を感じました。インドネシアは変化のスピードが大きく、若い人の活動がとても活発で、自国のために国内外で活動し貢献する、成果を持ち帰るという姿勢が強いです。その様子を見て、自分も日本のためにやれることをやりたいと思い、日本の仕組みを変えることに軌道修正しました。それによって、日本のことをもっと学ぶこともできます。
教育の現場、教室、学習環境などを直接見ることができ、生徒視点でだけなく、教育者の本音などをきちんと汲み取れる立場で活動できる場を探していました。教育系ビジネスはたくさんありますが、自分とは異なる価値観の企業には参画したくなかったので、自らスタートアップすることも考えていました。もっと自由に、自分がありのままに日本の教育と関われる場を求め、アショカであればビジョンの方向性も合致し、教育を自分で組み立ててアプローチしていくことができると思い、参画しました。それをできる場は結果的にアショカだけでした。
私は就活で企業面接する際に、黒いスーツでそろえる、また面接対策をするということをしないで行ったため、人事の人から「うちの会社には合わない」と断られてしまいました。今でも、なぜ企業の面接は黒いスーツで会社訪問なのかと疑問に思います。
渡辺:テック・イン・アジアというベンチャー企業でインターンも経験しました。テック・イン・アジアはシンガポールに本社を置く、IT周りのスタートアップのオンライン媒体で、オフラインも大切にしています。スタートアップの人とのマッチングなども手掛けており、かなりユニークで面白いです。人も良くて、キャリアはそこでほぼ決まっていましたが、5年後に自分がIT業界にいることがイメージできませんでした。上司からも、テック・イン・アジアでの仕事が合っていることは分かるけれど、3か月間他のところで就活してみた方がよいとの勧めもあり、他の企業や団体を訪問する中でアショカと出会いました。
高橋:最後に、渡辺さんから一般企業の人を見てどうでしょうか。メッセージや提言をお願いします。
渡辺:幸福は自分で決められることだと自分は考えています。自分の幸福を自分で定義しなければいけない時代になっていると思います。今まではある程度受け身でも幸せになれる世界で、家や車を買う、家庭を持つなど、社会によって定義される幸せが個人の幸せであると考えられがちでしたが、価値観が多様化し、幸せを自分で定義することが必要となっていると思います。幸せを自分で定義し、それに向かって進んでほしいと思います。
[hr]アショカ(ASHOKA)について
1980年の発足から続いているASHOKAの核の活動は、「システミック・チェンジメーカー(Systemic Changemaker)」を見つけ出し「アショカ・フェロー(Ashoka Fellow)」として認証しASHOKAネットワークに入れこむことです。そして、必要な場合は生活費援助を提供するほか、取り組みの拡大のための法務などの専門家がプロボノ支援に入ります。システミック・チェンジとは、社会問題の現象面の緩和(従来的なチャリティー)ではなく、「現象面の不具合を生み出している根本的な問題を変革する仕組みを実施することによって促される大きなスケールの変革」を意味します。過去38年間に選出された約3500人のシステミック・チェンジメーカーは、90カ国に散在しています。
アショカ・ジャパンは東アジア初の拠点として2011年に開設され、2015年10月までに5人のアショカ・フェローを選出しています。
アショカ・ジャパンHP http://japan.ashoka.org/
[hr]【関連イベント】
ヘルスケアIoTコンソーシアム×One Japan ヘルスケア分科会×アショカ・ジャパン
3団体コラボワークショップ
「ヘルスケア×IoTで実現できる未来」
開催日:2017年10月28日(土)
会場:ビジョンセンター東京(東京都中央区八重洲2-3-14)
時間:11~18時
参加費:無料 (懇親会参加1,200円)
※ヘルスケアIoTコンソーシアム入会ご検討中の方もオブザーバーとしてご参加いただけます。(コンソーシアムイベント未参加者に限り、1回のみ)
※学生の方の参加も歓迎です。
※プログラムなど詳細は下記ウィジェットのリンクよりご覧ください。