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ヘルスケア分野のIoT普及のきっかけは人にある ~壁を越えて着実に進む企業や研究者の4つの成功要因~

ニューチャーネットワークス 代表取締役
高橋 透

1.  ヘルスケア分野への「IoT」「ビッグデータ解析」導入の期待と現実

 ここ数年で、ヘルスケア分野においてもIoTやビッグデータ解析などの新たな技術の導入によるイノベーションを起こすべく、実に様々な実証実験が国や民間で行われている。これにより、最終的には健康寿命の延伸、40兆円以上に登る医療費の削減などが期待されている。
 弊社も、大学や研究機関、企業からなるヘルスケアIoTコンソーシアム(会長 東京大学大学院教育学研究科 山本義春教授)の発足に携わり、2016年9月の発足から半年余りが経過した現在では約70組織が加盟し、20回を超える情報、問題意識を共有するセミナーや分科会活動を行ってきている。
 ヘルスケアIoTの最終目標は、病気になる前の人の「行動変容」である。19世紀は「衛生の世紀」、20世紀はワクチン、輸血、抗生物質などの「医療の世紀」であった。しかし21世紀はできるだけ医療に依存することなく、長期に渡り日常行動を変化させることで健康を維持する「行動変容の世紀」と呼ばれている。その行動変容にヘルスケアIoTは効果を発揮すると注目されてきている。(B. Wansink, Cornell University, Physiology & Behavior  (2010); 100(5): 454–463)
 一方で、ヘルスケアIoTを支える様々なウェアラブルセンサをはじめとする生体センシング機器や各種解析技術が生み出され、大企業、ベンチャービジネスによる健康をサポートするニュービジネスも生まれている。歩数や活動量、摂取カロリー、心拍数の変化、睡眠状態などを測定しスマートフォンで気軽に見ることができ、時折アドバイスのメッセージがメールやSNSで送られてくるというように、ヘルスケアIoTは私達の身近なものとなりつつある。
 しかし、このようなヘルスケアIoTに関連する技術やビジネスが活発化し、発展してきてはいるものの、肝心の「人」の意識、そして行動は以前からあまり変わっていない。つまり、ヘルスケアIoTで期待された「人の行動変容」が進んでいないのだ。
 「測定する機器は買っても身に着けない。前からもっている体重計にさえ乗らない」
 「四六時中、行動を監視されているようで嫌になった」
 「測定しても中々行動を変えられない。一旦変えてもまた元に戻ってしまい、自分に失望した」
といったことが実際には多い。

2.  ヘルスケアデータ収集の壁は「個人のヘルスケアデータを集めに行くこと」そのものにある

 弊社が事務局を務めるヘルスケアIoTコンソーシアム(略称HITコンソーシアム)でも発信しているが、分野や業界を超えたヘルスケアデータの交換、流通などやそれに伴う様々なビジネスの展開が活発に議論されている一方で、肝心の個人のヘルスケアデータが思うように集まらないのが現実である。
 個人のヘルスケアデータ収集の壁は一体どこにあるのだろうか。私はその壁は、「企業や研究機関が個人のヘルスケアデータを集めに行くこと」そのものにあると考えている。そもそも、人間は病気や集中的なダイエット中でもない限り、自分の過去の行動のデータを精緻に集めようとする習慣がない。また集められた情報を解析し、頻繁にメッセージを受けとることに煩わしささえ感じるのが普通だ。このような「個人のヘルスケアデータ収集の壁」は、ヘルスケアIoTに関わる企業や研究者が、ヘルスケアIoTの対象を「モノ」として考えてしまい、「人」であることを忘れられがちなことから起こっているのではないかと考える。実際に皮肉な話ではあるが、ヘルスケアIoTの機器や解析技術などの開発に関わる人でも、自身のデータを日常的に記録している人は少ない。開発している自分が測定していないのに人に薦めても説得力はない。自分のこととして考えれば、「人」をもっと意識した形になるのではないだろうか。

3.壁を越えて着実に進む企業や研究者がいる

 多くの組織で個人のヘルスケアデータ収集が難しいと考えられているなか、その壁を越えて着実に進む企業や研究者が次第に増えてきた。共通する点は前述のとおり、しっかりと「人」を中心に据えてヘルスケアIoTに取り組んでいることである。主な特徴は以下のようなものである。

① 生活者の普段の生活行動の中で無意識にデータが取れる仕組みを持っている

 センサ技術の目覚ましい発展により様々なウェアラブルデバイスが開発されている。しかしその多くの開発の方向性は、現状の“医療レベル”の精度を狙ったのもが多く、認証手続きの複雑さから開発に時間を要し、コストも極めて高い。また、高い測定精度を維持するため機器が大がかりで、身体への装着にかなりの手間がかかるものが多い。身体に貼り付けるものや特殊な衣服を身に着けるといったものは、ある特定の状況では装着されるが、日常生活における使用は難しい。腕時計型のセンサも多く出されているが頻繁に充電が必要で、充電時に機器を外さなければならないことが装着の習慣の阻害になってしまっている。
 そういった中で、我々は加速度や歩数などを、装着が簡単で日常生活の中で無意識にデータを測定し、そのデータの解析から人の現在の健康状態、さらには将来の健康状態を予測する技術研究に注目している。その一つが、先に挙げたヘルスケアIoTコンソーシアムの会長を務める東京大学大学院教育学研究科 山本義春教授の研究である。山本教授の研究は、腕時計型の加速度計によるデータと、スマホで定期的に入力したそのときの気分のデータを組み合わせて解析することで、精神疾患を患っている被験者の現在の状態と将来の状態の可能性を予測し、必要で適切なタイミングで「介入(行動変容を促すメッセージを出す)」している。この手法はJITAI(Just-In-Time Adaptive Intervention)と呼ばれ、同教授らによる「システム科学技術を用いた予測医療による健康リスクの低減」に関する研究開発戦略(平成27年 国立研究法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター)で報告されている。
 もちろん、生体センサの進化・発展を決して諦めてはいけないが、早い段階で成果を生み出し、社会システムチェンジを図るためには、「無意識にデータが取れる」方法を選択し、データの精度を補完する技術の導入や仕組み、仕掛けの工夫が重要である。

② ゴールを「ヘルスケア」「健康」ではなく、「Well-Being」「Happiness」など「ヘルスケア」の先にセットしている

 「ヘルスケア」「健康」という概念は、人間にとって認識が極めて難しい。特に30代までの健康に問題の無い人は、「ヘルスケア」や「健康」といったことを意識することは少ない。一方で「美容」「フィットネス」「運動能力の向上」などは効果が明確で、分かりやすい。実際は40代以降の健康状態は、20代、30代の生活習慣によって造られるが、若く健康な人が10年以上も先の健康を意識して生活習慣を変えるのは難しい。「ヘルスケア」「健康」は、欠落してはじめてその有難みを感じるものであり、マズローの5段階欲求説でいうところの「生理的欲求」や「安全欲求」などの「欠乏欲求」なのだ。
 よく行動経済学でも言われている通り、人は将来の損失よりも目先のメリットを享受する傾向がある。また文化人類学的に見ても、自己保存欲動から食料確保など遺伝子的に目先の「快楽」を得ようとする傾向があるようだ。要するに「ヘルスケア」「健康」は頭では分かっていても、その「実行」がなかなか難しいのである。
 では、「ヘルスケア」「健康」をどのように消費者に訴求すべきなのであろうか。それは「ヘルスケア」「健康」の先にある「Well-Being」や「Happiness」などの、より高次の成長欲求や認知欲求、マズローでいうところの「自己実現」「知識と理解の欲求」「審美的欲求」をターゲットにするべきである。具体的には「趣味も兼ねた料理をすることで生活が楽しく、活き活きとし、友達もできる。実はそれは脳や身体を活性化させる効果的な健康法にもなっている」といった、「ヘルスケア」「健康」を“表に出さずに裏に添える、ただし科学的データの根拠を持った”製品・サービスコンセプトとコミュニケーション戦略が重要となる。

③ 「ヘルスケア」「健康」を、元々取り組んでいる自社のモノやサービスの新たな付加価値として提供している

 上記に述べたように、「ヘルスケア」「健康」をその先にある「Well-Being」「Happiness」に重点をおいたマーケティングを行っていくとすると、現在企業が行っている事業と全く異なる「ヘルスケア・健康事業」を行う必要はあまりない。むしろ、既存の強い事業の新たな付加価値として「Well-Being」「Happiness」を狙っていき、その裏には「ヘルスケア」「健康」の裏付けが示されているというのが事業経営として効果的である。従って、ヘルスケアに特化した企業よりもむしろ衣・食・住、移動、旅行、趣味、など我々の日常生活と直接接点がある産業が有利とも言える。また、直接接点がなくても「ヘルスケア」「健康」が背景にある「Well-Being」「Happiness」を達成させる機能を持つ素材や部材、部品、サービスにもチャンスは多いと考えられる。
 分かりやすい例を挙げると、明治ホールディングスの菓子事業による新たなチョコレートのマーケティングがある。チョコレートは「食べると太る」「ダイエットの敵」と見なされがちだったが、高カカオの機能性を軸にしたチョコレートの企画開発で、楽しく気軽にとれる美容食としてリポジショニングを図った。チョコレートの原料カカオに含まれる主な栄養素は「食物繊維、カルシウム、マグネシウム、鉄、ミネラル、テオプロミン、ポリフェノール」など、チョコレートの効能は「便通・肌荒れ・体調改善、脳の働き活発化、自律神経調整、記憶力・集中力向上、抗酸化作用、動脈硬化・生活習慣予防」などで、TV番組やマスメディアでも取りあげられ、その結果継続的な売上増加につながっている。
 明治は、誰もが知っていて食べたいチョコ、食べたら気持ちも明るくなるチョコという強い既存事業のポジジョンを梃子に、美容そして健康に良いというリポジショニングに成功したのである。
 新たな健康製品・サービスを創り出すことも重要だが、このように、既存の強いビジネスに「Well-Being」「Happiness」の付加価値を付け、その確かな支援要素として「ヘルスケア」「健康」を付けるという戦略が、確実性、収益性という観点からも効果的であろう。

④ 「人」に注目し、自動化、デジタル化などの機能性、便利さよりもむしろアナログな「人」本来の能力を引き出そうとしている

 全てのモノがインターネットにつながる“IoT”の議論が盛んであるが、IoT時代にはいったい何が求められているのだろうか。そのヒントは「人」にある。IoTというと全てがデジタル化、自動化されるイメージがあり、確かに今よりもよりデジタル化、自動化される分野は多いと思われる。そうなると大事なのは「人が何をするか」である。皮肉な話だが、IoT時代になれば、人が何をすべきかを本質的に考え、ビジネスにすることが効果的である。従って、自社のビジネス周辺の「人」に関する深い洞察と、人と機械の組み合わせの最適化が重要になってくる。人がやることに意義、意味をどれだけ持たせることができるかが勝負なのだ。
 例えば昨今「自動運転」が話題になっているが、自動運転になれば人間は本当に「Well-Being」「Happiness」になれるのか?という問いが必要である。たしかに自動運転による高齢者や健康起因の事故削減は期待されるが、必ずしも「高齢者=自動運転」ではない。実際に、高齢者はバイクや自動車で好きな時に好きなところへ自身の運転で行くことを楽しみにしていて、それを自分の若さの象徴として誇りに思っている人が大勢いる。そう考えれば、自動運転とは「人と機械の最適化」が本質的な課題であり、人が楽しく、幸せに暮らせることを目指したものでなければならない。
 自動車を一例に挙げたが、IoT時代には「人」に関すること、いわばアナログ的なことがとても重要になってくる。ましてや「ヘルスケア」「健康」は人が対象である。ヘルスケアIoTはより人というものを理解したものでなければならない。ヘルスケアにおいても技術は確かに重要だが、人を置き去りにしたものであってはならない。

 以上、ヘルスケアIoTの普及のトリガーに関して述べたが、これはヘルスケアのみならず、教育産業をはじめとするサービス業、サービス業化する製造業など全体に共通して言えることも多いのではないかと思われる。

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