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大阪大学大学院 中村亨特任教授対談 生体信号・へルスケアデータ利活用の課題と展望①

ニューチャーネットワークス 代表取締役
高橋 透

 今回のコラムは、いま最も注目されている研究分野である、ヘルスケアデータをIoTによって収集、解析し、人の健康や幸福に役立てる研究で御活躍の、大阪大学大学院基礎工学研究科・中村亨先生との対談です。中村先生の研究の原点は、大阪大学および米国ニュージャージー医科歯科大学で培った「人の健康と幸せのために貢献する」という理念です。
 中村先生が手がけていらっしゃる研究は、学際的で新しい分野です。企業も同様ですが、そういったイノベーティブな新規カテゴリーの研究には、様々な困難が伴います。それを切り開く原点は、強い理念にあることを中村先生との対談から学びました。

今回は大阪大学の中村亨特任教授(右)との対談です。今回は大阪大学の中村亨特任教授(右)との対談です。

高橋:まず、先生のご経歴とご専門について教えていただけますか?

中村:私は大阪大学基礎工学研究科で生物工学を専攻しました。大阪大学の基礎工学研究科は、日本で初めて生物を工学的に扱った学科として特徴的です。学生時代は心拍変動等の生体信号解析を行い、博士課程では胎児の心拍揺らぎも研究しました。博士課程修了後は精神疾患の患者の行動異常の研究にも従事し、米国のニュージャージー医科歯科大学に留学中は、慢性疲労症候群のように状態を客観的に測れない疾患の研究や、ファンクショナルMRIを使った生理や脳のイメージング研究にも従事しました。帰国してからは、ヘルスケアIoTコンソーシアム会長も務めていらっしゃる東京大学大学院教育学研究科の山本義春先生と一緒に行動について、特に精神疾患の客観的指標開発を進めてきました。

高橋:先生のように工学分野でも生体について一貫した研究をされていると、医学や生理学についても研究していかなければならないですね。

中村:そうですね。とくに解析するために統合的なアプローチには、医学、工学、生理学の知識が必要になります。

高橋:日本の医学界では界内での結束が強いとされていますが、それも昨今急速に変わりつつあるように思います。若い医師を中心に、メーカーと交流して新しいデバイスを活用しようとする動きも出てきていますが、それについてはいかがでしょうか。

中村:アメリカでバイオメディカルエンジニアリング(医用電子工学)といえば、最も権威のある学部の一つで、弁護士資格や医師免許を持っている人も学ぶことが多く、医学、工学、法律の連携が自然とされています。異分野融合を積極的に進めているのではなく、そもそもできているという状態です。日本はその点では醸成されてこなかった面もありますが、最近は医師やパラメディカルでも生体情報に興味を持つ人が増えてきて、医工連携が積極的にされていると思います。

高橋:日米でそのように差があるのはなぜでしょうか。国内でも東大や阪大は社会とのアクセスの数や質が異なり、融合が活発です。東大では吉川元総長が進めていた方針が生きているように思います。

中村:日本では、学部4年間の後に修士課程2年か就職という決められたコースに乗らなければならないという特徴がネックになっているように感じます。アメリカでは大学に長く在籍したり、学部を卒業した後に社会に出てからまた大学に戻ったりと比較的自由です。一方で日本は決められた年度に卒業して就職するコースに乗らなければという認識が強いため、短い期間で学位を確実にとらなければならならず、研究も広く浅くなってしまいます。そのような教育では、ジェネラリストになりがちです。最近では科学分野を中心に特定分野を深く研究するように、また、社会人が大学院に入りダブルメジャーも広がりつつありますし、企業がそういった人材を積極的に採用するようになれば、日本でも変わっていくのではないでしょうか。アメリカは、そのような流れができているので、様々な分野で活躍する人材が育っています。

高橋:異なる分野の経験を、自分の中で融合して独自のものを作っていくことが重要なのですね。先生が今進められている研究について教えていただけますか?

中村:最近は、生体信号、ヘルスケアデータ利活用の領域で、データと疾患の関係性を検証しています。疾患を診断するだけでなく、リスクとして発症にどれだけ近いのか、兆候があるのかという、いわば「崖っぷちの科学」です。疾患の発症という「崖」にどれだけ近いかを客観的に示すことで、早期検知や介入につなげる研究をしています。

高橋:確かに、自分がどれだけ健康の崖っぷちにいるかというのは、分からないものです。病院で検査し、MRI等で自分の物体としてのデータを提示されても、それを頭に入れて行動することは難しいものです。科学的に悪い所を医師に指摘され、こうすれば治るといわれると安心しますが、患者側の行動変容には感情で動く部分があり、行動変容の必要性を分からせるのは難しいですね。それについて、先生はどうお考えですか?

中村:世界的に、健康のためにいかに行動変容を起こさせるかというところに興味が集まっており、その一歩としてウェアラブルによる日々の計測から、IoTやICTを活用し何らかの方法で情報を提示して、崖っぷち具合を可視化し、行動変容を促すという枠組みの概念はできています。しかし、なかなか実現は難しく、世界中でいち早く成功例を挙げることがホットトピックになっています。

高橋:日々の計測等から情報を取り出せても、それをきちんとは見ず、見たとしてもなかなか変えようとしないのが人間の性(サガ)かと思いますが、成功例となるためのポイントは何だと思いますか?

中村:『いかに行動変容させるか』という答えは、誰も持っていないと思います。行動経済学や脳科学を応用して、何らかのプロトコルを手探りで考えているのが現状です。

高橋:企業の健康経営や健康サービスビジネス開発の過程でも、無数の試行錯誤が必要ですね。

中村:少しずつ成功例を蓄積してエビデンスを作り、規模を大きくしてくことが重要です。最も影響力が大きいのはやはり医療分野で、疾患が改善されれば非常に強い影響力を持ちます。研究者は、医療分野のエビデンスから手を付けるべきと考えますし、メーカーもサービスに近いところからアプローチをしていきます。

高橋:精神疾患による企業への影響は非常に大きく、IT系企業では何らかのメンタルの問題を抱えている人の割合は30%を超えているともいわれています。そういった問題を抱えている人たちの改善にアプローチしていくことは、問題を抱えていない人たちへのアプローチにもつながります。

中村:ウェアラブルデバイスで取得したデータを活用できる分野は、バイオマーカーを使えない分野です。医師によっては、年に2~4回ほど検診を受けていれば日常のウェアラブルセンシングは必要ないとも言われています。しかし、検診で判断できない分野、例えば精神疾患や発達障害等でのウェアラブルセンシングについては医師からも関心を寄せられています。また、糖尿病等の慢性疾患は検査で症状を知ることはできますが、その前の段階として、症状を引き起こさないように日常生活をどのように過ごしたら良いかが重要です。睡眠や食事、運動、ストレスを改善すれば、発症は8~9割回避できるとされており、行動変容が必要な分野です。パラメディカルが指導する、適した運動や食事療法、また心理的介入の必要性は、血液検査の結果では分かりません。介入し、行動変容を引き起こすためにはウェアラブルが必要で、医師も関心を持ち、現在共同研究を進めています。

高橋:ウェアラブルが有効な用途を認識した上で、指導や介入のスキルや知見も磨く必要があるのですね。

中村:疾患によってはマニュアル化された指導方法があるので、それをスマホのアプリ等として広げることはできますが、それが患者ごとに適していて効果的な方法かは、手探りで探索している状態です。

高橋:今は知見が徐々に融合しつつある段階で、10年後くらいには的確なアプリケーションやノウハウが出てくると期待されます。

中村:アプリケーションが出てくると同時に、診療報酬点数が認められるかが大きな要素になります。Apple WatchがFDAを取得しましたが、日本でもそういった動きがあった方がいいと思います。

高橋:ウェアラブルやスマホ以外に、こういったツールが発展するのではと期待するものはありますか?

中村:現状のウェアラブルで不足している情報として、環境データと位置情報が挙げられます。発達障害の子どもは外部要因に非常に敏感で、普通の人であれば我慢できるような光刺激でも強いストレスになり、心理や行動に影響するとされています。痛みも気候に影響を受け、躁鬱の転換にも気圧が関わっていると言われています。

高橋:環境データは自動車やエアコンなどから取れるようになってきています。データがデジタル化されて、どういった信号で処理するかが標準化されれば、断片的なデータでもビッグデータ化し、傾向を見ることは可能です。

中村:その方法は技術的には現時点でも可能ですが、データの紐づけができていないという問題があります。エアコンで温度は分かるので、ビーコンなど使って位置情報とつなげることできればよいですが、それを現状はできていません。現状のアプローチとしては、保育園に環境センサを置いた場合、計測したデータと保育園の観察記録を照らし合わせ、児童がどこにいたかという情報を手作業で紐づけています。IoT時代とはいうものの、そのような単純なことができていない状況です。システムができていない理由は、何に活用できるかが分かっていないためで、成功例が出れば位置データ検出をできるように開発が進められますが、今は利活用部分が欠損しているため、統合できていません。ですので、我々の研究では、成功例を見せて、融合を推進していきたいと思っています。

【対談者プロフィール】
大阪大学大学院基礎工学研究科附属産学連携センター・特任教授 中村 亨
2005年大阪大学大学院基礎工学研究科修了(博士(工学)を取得)。大阪大学臨床医工学融合研究教育センター、ニュージャージー医科歯科大学などを経て、2010年から東京大学大学院教育学研究科勤務。現在、特任准教授。2013年から国立研究開発法人科学技術振興機構さきがけ研究者を兼任。専門は生体情報工学。生体信号の情報抽出とその健康・医療応用、生体システムの機序解明に関する研究に従事。

 

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