「自律神経バランス測定によるセルフケアの意義」(上)
2015年6月19日に弊社で開催いたしました「高信頼多機能ウェアラブル・バイタルサインセンサ 普及啓発トークセッション※」において、産業医科大学副学長の柳原延章教授にご講演いただきました。本コラムでは、当日の講演録をご本人の許可をいただき、掲載させていただいております。
株式会社ニューチャーネットワークス 会田 明代
※本トークセッションは、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託事業である「クリーンデバイス社会実装推進事業/高信頼多機能ウェアラブル・バイタルサインセンサの用途開拓・普及事業」の一環として開催いたしました。
自律神経バランス測定によるセルフケアの意義について、①自律神経の働きと多忙やストレスによる影響、②自律神経バランスの測定と更年期障害に応用した実例、③株式会社ニューチャーネットワークスと共同研究中である自律神経バランス測定を更年期障害に応用した実証実験の結果を開示出来る範囲内で発表させて頂きます。
■自律神経の働きと多忙やストレスによる影響
自律神経は、心臓を動かしたり汗をかいたり、自分ではコントロール出来ない自動的あるいは自律的に働く神経です。気温の変化や精神的なストレスなど外界からの刺激に対して体内の状態を一定に保とうとする働きを、生体の恒常性もしくはホメオスタシスと言いますが、この働きを担うのが自律神経であり、内臓や血管の収縮·拡張などほとんど全ての内臓器官を調整しています。自律神経には交感神経と副交感神経の2種類があります。交感神経が興奮するのは、例えば動物や人が敵と対峙した時に、心臓の鼓動が増加し血圧が上昇し、筋肉に血液が注がれ血糖値が上昇します。気管支が拡張し、瞳孔は大きく広がり、「戦うか逃げるか」体の準備をするのが交感神経の役割です(米国薬理学教科書: Goodman & Gilman’s The Pharmacological Basis of Therapeutics, 12th, p. 180, 2010)。運動をしようと大脳が指令を出しますと交感神経が活性化し、心臓の拍動が高まり末梢血管が収縮します。全身の末梢血管を絞り心臓に戻してから運動している筋肉の太い血管を拡張させ、筋肉へより多くの血液(グルコースと酸素)を送ることにより運動を持続させます。これを体全体として調整するのが交感神経です。安静時に筋肉へ流れる血流量と運動時に流れる量とでどれぐらいの変化かと言いますと、約10倍もの増加があると言われています。そしてこのダイナミックな体の変化を統括的に司っているのが交感神経なのです。一方、副交感神経が活性化しますと反対に、心臓の拍動や血圧は低下し、気管支は収縮、瞳孔は小さくなります。消化管運動は亢進し食べたものを消化吸収し、エネルギーとして蓄えます。このように交感神経と副交感神経は、お互いに相反しながらその場その場で臨機応変にスムーズに働くように体の機能を調節しております。
昨今の社会を取り巻く変化や生活の様々なストレスが、交感神経の過剰な緊張を招いています。適度なストレスは生活のリズムを作るうえで重要ですが、強いストレスが長期にわたると自律神経のバランスが乱れ、自律神経機能不全になり、最終的には胃潰瘍等の消化性潰瘍や心筋梗塞や脳卒中のような重大な疾患を引き起こし、最悪の場合は死に至ることがあります。少し古い記事で毎日新聞に掲載されたものですが、政治家の平沼氏が病で倒れた直後に書かれた内容のものです。「それはその数年前に小泉首相による郵政民営化改革があり、自民党からかなりの人数が追い出され、その後大部分の人が自民党に復党しましたが、平沼氏の1人だけが郵政民営化にサインを拒否し復党しませんでした。結局これがストレスにつながったかどうかはわかりませんが、その後病に倒れてしまったというものでした。さらに戦後、在任中に倒れた首相は4人いますが、いずれも総辞職をしています。故大平元首相は、1980年に激しい政争の末、総選挙中に不調を訴え心筋梗塞で入院し、70歳ぐらいで亡くなられました。病理解剖をした結果、冠動脈はまだ50代から60代の若さで、恐らく想像を超える精神的ストレスがあったのだろうと推測され政治家のストレスが並大抵ではないと考えられる」という内容でありました(毎日新聞 平成2007年1月20日岩見隆夫、近聞遠見より)。
もうひとつはイチローの話です。これも毎日新聞(2009年4月)の記事なのですが、2009年のWBC(ワールドベースボールクラッシック)で日本は優勝しました。韓国との決勝戦でイチローの決勝打で勝利し、私達はイチローが大活躍したと思っていました。しかしWBCが終わった直後に、彼は胃潰瘍により米国メジャーリーグでの故障者リストに入ったという内容でした。確かにイチローは2次予選で、彼にしては珍しく11打数無安打の打撃不振に陥っていました。彼にとっては自分のプライドが許せなかったのでしょうか、何とか塁に出ようとあるいは塁にいる選手を進塁させようとバントを試みますが、バントも失敗してしまいました。WBCの時の私達が想像する以上の苦しみが故障者リスト入りの引き金になったのではないかと、その記事には書かれていました。あの天才打者と言われるイチローでさえも、たかだか2、3週間の戦いで本職である打撃の不振でストレスを受けると胃潰瘍になってしまうわけであります。私達凡人は、何をかいわんやということです。
ストレスを受けるとなぜ体に悪いかと言いますと、一つは強いストレスを感じると私たちの体は交感神経を活発に働かせ、交感神経や副腎髄質からカテコールアミン(ノルアドレナリンやアドレナリン)という物質を大量に放出します。その結果、血圧が上昇し(高血圧症)、動脈硬化や血栓が生じやすくなり心筋梗塞や脳梗塞を引き起こし、さらに免疫系も抑制され、最悪の場合は死に至るのです。ストレスや精神的な興奮は大脳皮質が感受し、大脳皮質の直下にある大脳辺縁系(情緒や感情に関与する神経)に影響します。大脳辺縁系の下には視床下部があり、ここにストレスが大脳皮質からストレートに影響するわけです。自律神経は視床下部から出発しており、交感神経や副腎を支配している腹部交感神経も出ています。従って、強いストレスを長期間受けますと、大量のカテコールアミンが出てこのような病気を引き起こしてしまうのです(図1)。
■自律神経バランスを測定する方法
私は、交感神経や副腎髄質の化学伝達物質カテコールアミン(ノルアドレナリンやアドレナリン)の基礎研究を長年して来ました。すなわち、カテコールアミンの生合成や分泌の調節機序などの研究を30年余り行って参りましたが、その交感神経や自律神経の研究が直接何か人の為に役に立てないかと思っていました。人の自律神経の調節に興味を持っていた時、たまたま次のような論文に出会ったわけです。
後藤幸生先生という元福井医科大学の麻酔科の教授で、自律神経バランスのゆがみを測定する方法があるということでした。「症状を訴える患者の中には、複数の施設で各種検査を受けても異常はないと医師に言われるが、相変わらず原因不明の身体症状は続いている。中には精神病扱いされ、医師に不信を抱いた、あるいは民間療法に走ったという人もいた。このような患者の自律神経バランスを測定してみると、器質的な異常がないと言われた人でも、大なり小なり自律神経バランスのゆがみが見つかり、つまり、異常が見つかりその場でグラフを使い症状を説明すると、誰でも納得しかえってここが悪かったのだと治療に積極的に協力するようになった」と書いてありました(後藤幸生、自律神経バランスの歪みを是正するペインクリニック、自律神経 35: 410-416, 1998)。
後藤先生は、自律神経バランスのレーダーチャート式評価法を初めて報告されました。この方法では、まず安静仰臥位状態で60秒間心電図を取り、波形からR波の間隔(R-R間隔)を測定します。一見、心電図上では同じようなリズムを打っているように見えますが、R-R間隔をミリセカンドで表しますとある一定の変動があり、これを心拍変動のゆらぎと言い、健康な人であれば誰でもこのようなゆらぎがあります。安静時測定後、さらに起立をしてもらい90秒間同じように心電図を測定します。従来の多くの自律神経測定では安静時のみを測定し自律神経バランスを評価していますが、後藤式は安静時と起立負荷を加えることによって、自律神経の状態をより複雑化して評価をするという方法なのです。R-R間隔の経時変化を観察しますと、安静時から起立時に一時的にR-R間隔が短くなりこれを「瞬時反応」と言います。これはすぐに元のレベル近くまで戻りますが、起立した状態では安静時レベルまでは戻りません。これを「活性化持続」と言います。これらを六角形のレーダーチャートとして表し、上の3つが交感神経のパラメーター(交感神経活動、瞬時反応、活性化持続)で、下の3つが副交感神経のパラメーター(副交感神経機能、安静時心拍、内在活力)です(図2)。この図形ではいろいろなパターンがあり、六角形の下3つのパラメーターが大きくなると副交感神経優位であり、上3つが大きくなると交感神経優位と言えます。
(次号につづく)
【柳原延章様 略歴】
◆所属・役職
産業医科大学 医学部薬理学講座 教授
◆経歴
昭和55年3月 徳島大学大学院医学研究科博士課程(薬理学専攻)単位取得満期退学
昭和56年3月 医学博士(徳島大学 甲号)
昭和55年4月 産業医科大学医学部助手(薬理学講座)
昭和57年4月〜昭和59年4月 米国コロラド大学医学部薬理学 (Research Associate)
平成12年2月 産業医科大学医学部教授(薬理学講座)
平成26年4月 産業医科大学副学長を併任
◆学会活動
日本薬理学会 理事(H24年~)、評議員
日本薬学会、北米神経科学会、その他多数
◆主要論文・著書
1) 『臨床栄養学総論』第6章 食品と医薬品の相互作用、第7章 くすりの見方
柳原延章(分担執筆)、編集 小松龍史 他 (東京化学同人 2005年)
2) 『高齢者の栄養管理』 第3章(G) 気をつけておくべき薬剤と食品·栄養剤との相互作用 柳原延章(分担執筆)、編集 下田妙子 (文光堂 2010年)
3) 『植物性エストロゲンのカテコールアミン生合成·分泌への影響』柳原延章 他(日本薬理学雑誌 132: 150-154, 2008)
4) “Insights into the pharmacological effects of soy isoflavones on catecholamine system. In : Soy bean and Health ” by Yanagihara N., et al.,(分担執筆)(edit. El-shemy H A.) Croatia, INTECH, 167-180, 2011
5) “Inverse correlation between the standard deviation of R-R intervals in the supine position and the simplified menopausal index in women with climacteric symptoms.” Yanagihara N., Seki M., Nakano M., Hachisuga T., Goto Y.; Menopause, 21: 669-672, 2014
6) 『自律神経システムにおける植物フラボノイドと更年期障害の影響について』柳原延章 他(自律神経52: 13-17, 2015)