技術者の人材開発を大きく見直す
■文系理系振り分けの大罪
学生のころから疑問に感じていることがあります。それは、高校2年生ぐらいで文系か理系かにコースを決めてしまうことです。大学でも文系と理系で履修する科目が異なっています。さらに、製造業などの技術ベースの業種に就職すると、文系学生の多くはスタッフ部門や営業系に、理系学生は技術部門や研究開発、設計、製造、品質保証などに配属されます。まだ社会を知らない高校2年時に、大した理由もなく選んだ文系か理系の分岐点が、一生続く可能性が高いのです。
一方社会では、新製品・新事業開発、マーケティング、サービスデザイン、エコシステム・ビジネスモデルの開発など、多様な立場、専門の中で仕事をすることが増え、文系理系の区分がない仕事が多くなっています。時代の変化が加速するのにともない、ほとんどの人が65歳以上まで仕事をし、生涯の労働年数も以前より長く、複数回職種を変わります。少なくとも学生時代は文系、理系にこだわらず、多様な仕事に就けるよう幅広い領域の学習をするべきだと思います。
終身雇用の習慣がある日本企業では、幅広い職種対応が必要です。その点、とくに技術系人材のキャリア、人材開発には問題が多く見受けられます。具体的には、日本企業の技術者と呼ばれる人の多くは、今現在、極めて限定された範囲で仕事をさせられ、自分の関わる技術が市場や社会とどのような接点があり、将来どう発展していくのかを想像しにくい環境にあります。1990年代に日本企業のプレゼンスが拡大し、同時にデジタル化が進んだ際には、組織が巨大化して分業制が徹底され、一技術者の担当する範囲は極めて狭く、限られたものになりました。「自分の開発したソフトウエアがどの機種に入っているのかさえ知らなかった」「同じ開発業務を短期間に繰り返しやっているだけで、顧客の現場に行ったことがない」などという発言がよく聞かれるようになってしまいました。業績が厳しい時代が続き余裕がなくなったせいか、人材の流動性もむしろかつてよりも低くなり、優秀な人材ほど同じ一つの部門に居続けることが多くなったように感じます。
その様な環境の中で、管理職や経営者は「今の若い人は現場を知らない、視野が狭い」「全体最適が解っていない」などと批判できるでしょうか。もちろん、社員個人の意思や責任も問題なのかもしれませんが、むしろ長期的視点に立ち、全体最適を創りだす環境づくりに失敗した管理職や経営者にこそ責任があると思います。
時間的にもコスト的にも余裕がなくなった企業経営の中で、高校2年時に振り分けられた理系進学が、下手をすれば視野の狭い人材になりキャリアの柔軟性も失ってしまいかねない。よくよく考えると、このことは個人としても企業としても、そして日本社会全体にとっても大きな損失だと言えます。
■この20年間で技術進化・発展の仕方が大きく変化した
一方、現代の技術進化・発展は、かつてと大きく変わってきています。技術の発展の方向に沿った技術人材開発が必要です。その発展の特徴を挙げると、以下のようなものがあります。
①技術は重層的で複雑に進化・発展している
情報通信、電子電機、機械、バイオ、建築、土木など、いかなる分野であっても技術は細分化され、高度専門化されていきます。社会システム全体が高度化すればするほど、その流れはとどまるところを知りません。ある一つの工学体系の樹形図も重層的で複雑になっており、大学の研究者であってもその全てを細部まで理解し、説明するのが難しくなっています。製造業でも、すべての技術を自社で保有するのは大変難しくなってきていますし、そのこと自体、意味が薄れてきています。保有にこだわった結果、むしろ技術の進化・発展に取り残されることもあり得ます。
②技術の融合で予想もしない新たな進化・発展をする。またそのスピードも速い
個々の技術分野が重層的で複雑になっているのに加えて、異なる分野の技術の融合が進み、技術がこれまでに予想もしなかった新たな進化・発展をする傾向もあります。例えば生命工学の領域では、情報工学や精密機械工学と密接な関係を持って発展し、それぞれに新しい専門分野が次々と生まれています。したがって、一つの専門分野の研究をしていてもその分野が大きく変わってしまい、それまで蓄積してきた知識があまり役に立たなくなることもあり得ます。
技術の融合は、1990年代半ばのインターネットの普及によってかなり加速されました。インターネットにより、多くの専門知識にアクセスしやすくなったことや、情報という視点での各専門分野の進化発展で、異なる分野同士がネットワークされやすくなったためです。
③デジタル化、モジュール化、ネット化で技術開発、製造のグローバル分業が可能に
技術が重層的で複雑になると、いかなる組織でもカバーする範囲が限られてきます。そこである範囲は外部組織に任せて、出来上がったものを受け取るという方法を選択せざるを得ません。日本企業はかつて、多くの関連子会社をつくることで、技術の重層化、複雑化を乗り越えてきました。
しかし、1990年代から本格的にデジタル化とICT(情報通信技術)が進むと、製品、部品、個別技術のインターフェースが共通化され、自社との資本関係が無くても低コストでスピーディーに製品を開発、製造する多くの外部企業ができました。インターネットの普及でそれらの企業は、部品のモジュール化とグローバル分業を加速化させました。
以上のように、ここ20年間に技術は重層化、複雑化し、さらにデジタル化、ネットワーク化の影響を受けて複合化、融合化が進み、それに対応する形でモジュール化とグローバル分業が加速度的に進みました。技術は「進化・発展する」という直線的な表現ではなく、予測できない方向に「生成・変化する」という表現が適するようになりました。
■技術の出口は製品だけでなく顧客、市場、社会価値へ
技術とその環境変化によって、技術そのものと技術者に求められることも大きく変わってきています。かつて製造業は主に製品を開発し、製造することが使命でした。しかし現在では、単に製品を開発、製造するだけでは企業として生き残りが難しく、製品以外にサービスやマーケティング、営業、さらにはエコシステム・ビジネスモデルの構築とそのためのM&A、アライアンス、標準化活動など、外部との関係性の構築などが必要となります。そのように考えると、技術の出口は必ずしも製品だけに限りません。製造業ですとどうしてもアウトプットが製品になりがちですが、その出口は様々です。
そのため技術者には、「顧客価値」「市場価値」「社会価値」を理解することが求められます。そう考えると、冒頭に挙げた狭い範囲の業務を繰り返す仕事のスタイルは、短期的には効率が良いのですが、長期的にみると明らかに時代に逆行しています。技術を様々な価値を生み出す源泉としてとらえるのではなく、単に短期的な生き残り手段として扱っていると言えます。
技術者の人材開発は、まず経営者や管理職が「技術は顧客、市場、社会価値の源泉である」という認識を持つことから始めるべきです。一方で技術者は、自分が担当する技術を顧客・市場・社会における価値に置き換えることが出来なければなりません。目先の社内要求だけでなく、広く顧客、市場、社会的価値の視点で自分の担当する技術を活かさなければなりません。
■時代の変化に左右されない“技術者の仕事の原則”とは何か
ここで「広く顧客・市場・社会的価値を見据えた技術人材の開発」について述べたいところですが、その前に、時代の変化に左右されない“技術者の仕事の原則”に関して整理確認したいと思います。
①高度な技術的専門知識・スキルで成果を出す
技術者の成果は、技術者のもつ高度な技術的専門知識・スキルから生み出されます。専門知識・スキルは、大学・大学院などの教育・研究機関や、企業内で身につけます。高度な専門知識の習得は簡単ではありません。外部から強制されて学習、習得できるものではなく、自発的なモチベーションが必要となります。その自発的モチベーションは、技術者の対象技術に関する強い好奇心からくるものです。多くの場合、その好奇心とは対象技術が生みだす顧客・市場・社会へのインパクトの強さ、つまり価値です。
②技術的な分析、課題・問題解決などの深い思考作業が必要
技術者は、高度な専門知識・スキルを用いた課題・問題解決などが仕事となります。知識・スキルを課題・問題解決に結びつけるには、高い思考力が求められます。思考力とは、簡単に言ってしまえば、様々な観点を検証し、これまで考えられなかった独自の効果的な着眼、構想を持つことです。したがって、思考力には思考のジャンプ、つまり“発想力”が必ずともないます。
③データで結果を示さなければ認められない
技術者は、課題・問題解決の考え方やビジョンを示すだけでは認められません。問題・課題解決の方法に関して、恣意性は一切認められません。そのためには、客観性のある方法で必要な数の実験、シミュレーションを繰り返し実施し、客観的なデータで結果を示さなければなりません。
④単独で最終目的を達成することはなく、他の技術や業務との連携が重要
前にも述べましたが、技術は時代とともに専門性が増し、先鋭化する傾向があります。しかしその一方で、技術はその先鋭化された一つないし二つだけでは、成果になりません。他の技術と組み合わされて一塊のソリューションを生み出します。また、複数の技術だけでも成果にならないことも多いのです。マーケティング、営業、物流、サービスなどの他の業務(オペレーション)との組み合わせで、初めて成果に結びつくことが多いのです。そこで技術者は、他の技術や業務を理解し、連携することが求められます。
■未来に向かってどの様な技術者を育成するか?
次に“技術者の仕事の原則”のもと、技術とその環境の変化を踏まえ、未来に向かってどの様な技術者を育成するかを考えてみたいと思います。
①社会システムやサービスのデザインができる技術者
技術者そして技術が成果を上げるには、その最終的な貢献先である社会システムやサービスそのもののデザインが出来なければなりません。たとえば壁埋め込み型センサーを開発する技術者であれば、そのセンサーによってどのような建物情報が収集され、尚かつそれがビッグデータとして解析されることで、市場や社会に対しどの程度の価値を生み出すことができるのかをイメージし、提案する必要があります。
社会システムをデザインする上では、我々が生きる社会をどうしたいかという、強く一貫した理念やビジョンが重要です。その理念、ビジョンと現状の間に様々な課題・問題があり、技術はその重要解決策となるべきです。
しかし、社会システムやサービスのデザインとなると、スケールが大きく、一技術者には難しく感じられます。到底一人ではできません。また、扱う領域も技術に限りません。デザインやステークホルダーの感情といった問題もあります。そこで、まずは自分自身の視野を広げ、ネットワークをつくり、試行錯誤の中で多様な人や組織とコラボレーションしながら、自分が開発する技術の役割、貢献を自発的に働きかけて創発していくことが重要です。となると、技術者にも多様な人、組織とのコラボレーション力、ファシリテーション力などのヒューマンスキルが求められます。
また、組織内外にどれだけ多様なネットワークを持っているかも、技術者の重要な要素です。なぜなら、社会システムやサービスの解決すべき課題や問題は単純でなく、多面的な発想、思考が必要だからです。技術者個人の持つネットワークそのものが、大事な資産と言えます。
②優れた分析力を持つと同時に高いコンセプト力、統合力を持つ技術者
“技術者の仕事の原則”の所でも述べたとおり、技術者は高度な専門知識・スキルで物事を分析し、課題・問題を把握しなければなりません。しかし、分析力だけでは課題・問題は解決できません。課題・問題の本質を分析、把握し、そこから解決策を発想していくためには、複数の技術や技術以外の要素を、ある独自の視点で統合する必要があります。つまり、コンセプトメイクの思考力が不可欠です。コンセプトメイクは、技術の領域でいえば、技術的課題解決力、サービスであり、ビジネス全体でいえば、事業課題解決力ともいえます。レイヤーにより活用する専門知識は異なりますが、思考原理は同じだと思います。その思考原理とは、課題を明確にして制約条件を明らかにした上で、様々な視点から解決アイデアを考え、試行錯誤を繰り返しながら最適な解を見つけ出すことです。
これまでの日本の学校教育では、分析するための知識・スキルは良く教えられてきましたが、コンセプトをつくることや統合することについてはあまり教えられていないと思います。最近、デザインシンキングなどが少しずつ普及してきてはいますが、その必要性、重要性に対しまだまだ不十分です。日本企業でもコンセプトメイク、統合力を組織立って教育している企業はほとんどないと言ってもよいかもしれません。個人の資質に任せているというのが現実だと思います。
③リーダーシップ、決断力を持つ技術者
リーダーシップとは何かを一言でいうと、「先が見えない中で方針を決断し、メンバーを引っ張っていく力」です。そのためには、物事に対する一貫した信念、理念、さらにはメンバーを理解しアイデアや行動を引き出すパワーが必要です。
技術者にもこのリーダーシップは重要な要件です。現在の複雑な技術開発体制の中では、関わる仕事の規模が大きくなり、社内外の多様な人や組織をリードしなければならないからです。加えて、市場や社会の変化のスピードも上がっています。ますます先が見えにくい状況です。
リーダーシップというと、どうしてもマインド的な話が先行しがちですが、リーダーシップには高度な知識やスキルも必要です。①や②で取り上げたように、全体を俯瞰した上でのコンセプトメイク力が重要で、そのための技術的な専門知識、スキル、そして思考力がリーダーシップの基盤になります。リーダーシップは経験によって鍛えられることが多いため、失敗を恐れずリーダーシップをとる場を経験することが大切です。
この20年の社会、経済の変化を考えると、これからの技術者のキャリアや人材開発は大きく変革していかなければなりません。しかし、実態の多くは過去の考え方、やり方を踏襲したままで、技術組織部門や技術者自身の努力に任せきりです。製造業はじめ技術ベースの会社において、技術者のキャリアと人材開発は最重要課題だと私は考えます。経営者、管理職の方には、この機会にぜひ抜本的に考えていただきたいと思います。