再生への一歩 ―常識の枠を超えた事態の直視と当事者意識
■大震災の当事者として
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、すべての日本人に当事者としての行動を要求している。大震災は、現在も現地の多くの方々に困難な環境での生活を強いている。3月の末、例年であれば春を感じさせ新年度のスタートに向かう現在でも、被災地は、家族や友人の死の悲しみ、寒さ、飢え、病気、さらには見えない放射線の恐怖という極限の状況にある。首都圏においても計画停電が実施され、一部の工場の操業停止、通勤通学の困難による人々のパフォーマンスの低下、そして不安心理からくる消費の抑制という事態が起きている。それらはさらに、グローバル経済の厳しい競争の中で、日本社会、日本経済が埋没するという危機に進展しつつある。我々は、日本の戦後最大の危機的な状況に、当事者として今この日本に存在している。批判、批評でなく、当事者としてどう行動すべきかを考え、決断し、実行しなければならない。行動することが今、求められている。
危機的状況において、自分や組織を超えたものにどう貢献することができるのか。東日本大震災という日本の危機に当たって、当事者としての行動のあり方を、自戒も含めて述べてみたい。
■現実の緊急状況を直視しつづける
復興は急がなければならない。一方で同時に、現在の多くの問題を直視なければならない。例えば、多くの入院患者の方、避難所や被災した住宅に住むご高齢の方、親を亡くした子供たちなどが、安全な生活に必要なサービスを受けられていない。ガソリン不足などで物資の輸送手段がない、毎日の食料確保が難しい、衛生状態が悪化している、という問題もある。
また、大小多くの企業活動が停止となり、地域の経済活動、さらには日本の経済活動が停止または極度の停滞状態に陥っている。多くの仕事が失われ、収入の道が閉ざされている。多くの方の仕事の復興の目処が立っていない。
地震は収まりつつあるが、被害はいまだ拡大し続けている。原子力発電所の大規模な破損によって、社会や経済に長期的かつ甚大な損害を及ぼす問題が、今も解決の糸口が見つからないまま進行している。原子力発電の停止による極度の電力不足による社会経済活動の停滞、そして広範囲の放射線による汚染問題によって福島県、さらには東京や日本のブランドイメージまでもが今まさに崩れつつある。外国人、外国企業の日本離れが起きており、国家財政の破綻なども危惧されている。
現実の認識すら困難なこの緊急事態を、自分自身の問題として可能な限り直視し、共有することが必要である。私は、この厳しい現状を直視できる日本人の強靱な精神力を信じている。
■先の事ではなく、今何をすべきかを考え、行動する
例えば電力の問題に関しても、節電は当然のこと、まずもって原子力発電所の放射線漏れをどう抑えるかが最優先である。今回の原子力発電所の問題に関しては、これに先立つ議論はあり得ない。東京電力とその関係者、経済産業省原子力安全・保安院が、この問題の解決に集中できるようにすべてを優先させるべきである。また業種や専門、国家の枠を超えた緊急の体制をつくり、緊急に対処すべきである。そのために、電力関係者は原子力の安全性に関することはもちろん、計画停電を含めたすべての実態を公表し、緊急に協力を得る努力をすべきである。
電力を例にとったが、被災地でのご病気の方をはじめとした健康の問題、ライフラインなどの急を要する問題も同様である。避難所での生活は、ただでさえ震災で打撃を受けた身体に、さらに負荷をかけ続けている。避難所で亡くなられた方も多い。事は人命の問題である。目の前の危険をどのように回避していくのか、それぞれで実態に合った行動をとるべきである。今何をするべきかを認識し、企業、地域、国家の枠を超えた体制で解決することが求められている。
■前例や常識を壊した発想と行動
我々の中に無意識に存在する、前例主義や常識が、この緊急事態への対応の遅れの原因になってしまっている。今回の災害でも多くの専門家や組織のトップから「想定外」という言葉が聞かれたが、緊急事態はすべて想定外である。想定外と認識することは致し方ないが、意識を素早く切り替えなければならない。
前例主義や常識を打破するには、“現場”に対して主体的に“参入”し、事象を一旦主観的に捉えることが必要である。きれいにまとめられたレポートではなく、五感を総動員して事象を受け止め、そして今なにが必要なのかを明確にしなければならない。特に気をつけなければならない「我々の常識」とは以下のようなものであろう。
- 災害時だから今は様子を見ておこう(先延ばし)
- この問題の決定責任は役員の●●さんにある(当事者意識の欠如)
- これは当社の責任範囲外の問題である(縄張り意識)
- この問題を解決するには準備と時間が必要だ(計画主義)
- この問題は広範囲で、構造的な問題だ(問題の範囲を限定しない)
日常での行動が参考になるのであれば、緊急事態ではない。緊急事態においては、現実に即して自分の頭で考えて判断していかなければならない。
■トップが現場に張り付き、その場での意思決定を連続させる
東日本大震災で被害を受けた道路などの交通手段が回復した現段階になっても、トップが遠く離れたことろから指示を出し続けている会社や組織がある。まだ非常時は脱していない。これだけの災害の現場での実態は、組織内の報告からだけでは認識できず、実のある解決策は生まれない。
今回のような非常時には、トップやリーダーが現場に張り付くべきである。もしそれが無理であれば、現場にいる人材をリーダーに任命し、任せる必要がある。刻々と変化する状況をトップやリーダー自身が瞬時に捉え、その場で意思決定を行い、試行する。間違っていれば即修正する。非常時には組織階層ルートを通じた意思決定は、取り返しの付かない行動の遅れにつながる可能性がある。
このような意思決定とその実践を短サイクルで連動させる組織行動も、このような緊急事態だからこそできる挑戦であると、ポジティブに考えたいものである。
■小さな成果を早期に生み出し、ボランタリーなネットワークを広げる
災害の規模が過去に例を見ないほど大きなものである。一体どのようにしたら完全に解決できるのか今はまだ見通しを立てることもできない。復興に向けた人々のモチベーションの維持そのものが難しい。しかし、ともかくもまずは実行してみないと、実際の仕事量や処理時間もわからない。やってみると意外に見えてくるものである。小さくても象徴的な成功が、被災した人々を勇気づけ、また、協力のネットワークを広げる。
たとえ今現在は取り組む人数が少なくても、意義を理解し共有することができれば、協力者はネットワーク的に広がり、予想以上のリソースが集まる。
ツイッター、フェイスブックなどのネットインフラが充実した現在では、そのネットワークの大きさ、伝達スピードの早さは、過去とは比べものにならない。
今回の東日本大震災では、新興国も含めた世界各地の多くの方々が日本の復興をお祈りくださり、救援隊の派遣や物資の支援、義援金の寄付が行われている。人々のネットワークによる力は大規模災害を超えることができると信じている。震災からの再生に向けて、日本に住む私たち一人ひとりが当事者としてネットワークを形成し、今考えられることから解決していく。始めは成果が小さくても、その繰り返しが、平穏で活気ある毎日や、以前よりも力強い社会、経済につながるものと考える。