
【緊急特集】トランプ現象は現代社会の「結果」。私たちはトランプ政権をどう理解するか
■現在のトランプ大統領の政策は1970「アメリカ中流階級の没落」がルーツ
前年に出版された『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ボーゲル著)が一世を風靡していた1981年の終わりごろ、当時大学生だった私は、ゼミの担当教授から『ルージング・イット―アメリカ中流階級の没落』( 丸山勝訳 新評社)を読んで感想を述べるようにと指示されました。
このころの米国は自動車やエレクトロニクスなどの製造業が衰退し、それとともに伝統的な中流階層は失業や所得の低迷に苦しんでいました。本書の内容はタイトルの通り、もはや親の代のような平均的な豊かさを得られなくなった当時のアメリカ中産階級の現実を描いています。その「平均的な豊かさ」とは、郊外に小さな住宅を買い、子どもを大学に通わせ、退職後は年に1度海外旅行に行けるという程度のもの。そんなつつましい「豊かさ」でさえ、中流層の多くは手にすることができなくなっていました。会社に突然解雇され、住宅ローンが払えず、賃貸住宅に移らざるを得ない。共働きでも生活するのが精いっぱいで、子ども自らが学資ローンを組まないと大学には行けない。そんな状況になっていたのです。
当時、日本では国民の約80%が自分たちを「中流」だと思っていましたし、私たち学生もほとんどが中流家庭の出身でした。そんな私たちがこの本を読んで述べた感想は、以下のようなものです。
- そんなふうに中流階級が没落したのは、アメリカという国が、多くの雇用を生み出す製造業を軽視した結果である。実際に米国製品の品質は低い。
- 日本も経済が成熟してくると中流階層が減少し、格差が生まれるのではないか。実際に土地の価格は高騰し、地方出身者と都市部出身者の間には既に格差がある。
それに対してゼミの担当教授は、「米国の中流階層の没落は、民主主義や自由貿易経済、ひいては社会構造全体を破壊する火種となる可能性がある。そのことをよく考えておくように」とおっしゃいました。
80年代から90年代初めのアメリカは共和党の時代です。レーガン大統領(在任:1981~89年)からブッシュ(父)大統領(在任:1989~93年)へ。この間、自由貿易を建前にしつつも、半導体、自動車、食料などの分野で日本に対する市場開放への徹底的な圧力がかけられ、円高誘導政策なども行われました。今の「米中冷戦」ほどではないにしろ、「日米貿易戦争」と呼ばれる期間が続いたのです。
■「憤怒」の政治、トランプは「原因」ではなく「結果」
現在私たちが目の当たりにしている「トランプ現象」の本質とは何なのでしょうか。
ジャーナリストで米国政治経済に強い合田弘継氏は、その近著『それでもなぜ、トランプは支持されるのか:アメリカ地殻変動の思想史』(東洋経済新報社2024年7月)の中で、「トランプは『原因』ではなく『結果』なのだ」と述べています。また、本書の中で氏は、政治コメンテーターであるタッカー・カールソンの次の言葉を引用し、トランプを「絶望の国の大統領」と呼んでいます。
「人々はトランプを選ぶことで、政治家やエリートたちに向かって『クソくらえ』と言っているのだ。それは軽蔑の所作であり、怒りの叫びであり、何十年にもわたった身勝手で英知もない指導者らの、身勝手で英知もない決定の帰着なのだ」
合田氏はトランプ現象のことを、共和党・民主党といった右派左派の問題ではなく、上下の格差の問題であると指摘しています。「米国の世帯資産は2023年時点で上位10%が全世帯資産の66.6%を占め、上位の平均資産は日本円で10億円ほど。ジェフ・ベソス、ビル・ゲイツ、ウォーレン・バフェットの富豪3人の資産は、米国下位50%の資産に並ぶ」というデータを示したうえで、「これがまともな国なのかと思う」とも語っています。
トランプ大統領支持者の多くは、かつて米国の製造業の中心であった中西部の州をはじめとした地方に住む人々。つまり、1970年代から半世紀近く格差社会の底辺に押し込められ続けてきた人たちです。が、ナンシー・アイゼンバーグの『ホワイト・トラッシュ:アメリカ低層白人の四百年史』(東洋書林 2018年)によれば、この問題の根は18世紀のアメリカ建国当時にさかのぼるといいます。このころイギリスの貧困者たちがアメリカに連れて来られ、奴隷のように働かされた。彼らはその後のアメリカンドリームに乗ることもできず、「脱落者」という烙印を押されてきた。製造業が隆盛してくると労働力として活用され、生活はよくなったが、その製造業の衰退とともに中流階層としての地位を失って今日に至る、というのです。
こういった現状を踏まえると、トランプの高関税政策やハーバード大学はじめとした米国一流大学への助成金等予算の大幅カット、政府の高級官僚のレイオフなど、とうてい理性的とは言えない、暴挙とさえ思える一連の政策も、「歴史的な結果」としては理解できなくもないのです。この「歴史的な結果」を導いた大きな要因に、クリントン、オバマ、バイデンの歴代民主党大統領が採用してきた、金融業界やGAFAMなどIT業界を優先する「エリート主義」がある、と指摘する人は少なくありません。
究極は2021年1月6日、大統領選挙で不正があったとして連邦議会開催中に議事堂を襲撃した「アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」です。この事件は、これまでどおりの政治的な手続きを踏んでいても低所得者層がエリートたちに搾取し続けられる構造は変わらない、というトランプ支持層の強い恐怖感が生んだ、「革命の試み」であったとも言えるのではないでしょうか。
■日本で起こっている中流階級の低迷
日本は、米国のような極端な格差社会にこそなっていないものの、実質賃金低迷の問題が存在します。
金融・経済の研究者である河野龍太郎氏は、近著『日本経済の死角――収奪的システムを解き明かす』(ちくま新書2025年2月)の中で、「1998年から2023年までの四半世紀で日本の時間当たり生産性は3割上昇したが、時間当たり実質賃金はこの間、横ばい」「正確には、近年の円安インフレで3%程度下落」したと分析しています。
それを「収奪的な経済システム」と厳しく批判し、それを生んだ原因として「小泉政権から始まった非正規雇用の増加」「儲かっても利益をため込む大企業」「ゆがんだコーポレートガバナンス改革による株主優先主義」「国内雇用の削減、投資効率の悪い海外投資」などを挙げています。
その他にも私は、「研究開発・イノベーションへの投資の減少、それらの重要性の軽視」「労働組合の弱体化、企業とのなれ合い関係」「国内の人的投資の減少(結果だけを求め、人を育てない組織体質)」などの原因を指摘したいと思います。
比較的雇用が守られている大企業のエリート社員は、年功序列的な制度が存在する限り、基本的には年次に応じて昇格・昇給します。しかし、中小零細企業の社員、非正規雇用者、フリーランスなどは厳しい市場取引の対象であり、その多くがコストダウンの手段となって極めて厳しい状況に置かれています。
例えば、建設業・建築業の下請けには、いまだに社会保険にも加入していない・したくでもできない会社が少なくありません。そんな会社で働く人は生活するのがやっとで、とても子どもを大学に行かせる余裕など生まれないでしょう。また、飲食業や自動車整備、各種インフラ工事などのフィジカルな労働が中心のサービス業では、人手不足による縮小や倒産が急増しており、特に地方ではそれが限界まで進んでいます。たとえ上場企業であってもグループ企業や協力会社のレベルまで見ていくと、こうした現状がすぐにわかります。
内閣府HPより「第2-1-5図 一人当たり名目賃金・実質賃金の推移」
令和4年度年次経済財政報告(経済財政政策担当大臣報告)令和4年7月
第2章 労働力の確保・質の向上に向けた課題 第1節 成長と分配からみた課題(p.106)
厚生労働省HPより「第2-(1)-3図 賃金と生産性の国際比較」
平成27年版 労働経済の分析 -労働生産性と雇用・労働問題への対応-
第2章 経済再生に向けた我が国の課題 第1節 デフレ下における賃金の伸び悩みとその要因(p.65)
■果たしてどうやってグローバルでのコンセンサスをつくっていくのか?
米国では極端な経済格差に端を発するトランプ現象が起き、日本では実質賃金低迷とインフレによる生活困窮が問題化しています。そしてヨーロッパでも、経済格差が広がる中で極右政党や民族主義の台頭が懸念されています。
それらの問題は、経済・産業のグローバリゼーション、インターネットや生成AIの普及に代表される情報革命、金融セクターの膨張などの現象とともに、グローバル規模で複雑に絡み合っており、解決の方向性さえ見つけるのは難しく、大変悩ましいと思います。しかしあきらめて思考を止めてはなりませんので、私なりに対処方法の仮説らしきものを考えてみました。
①制度間の整合性をとるのは難しい。時間をかけた相互理解に重点を置くべき
もはやTPP、WTO、脱炭素関連の条約などグローバルな制度面での合意形成は難しいでしょう。米国トランプ政権が、それらの多くを全面否定しているからです。
トランプ大統領支持者の多くは、経済的立場の弱い人たちです。それならば彼らの経済状況を理解し、彼らの心情に共感し、できる限り彼らの支援につながるようなことを考えて実行するのが大事だろうと思います。具体的には、日本の得意な製造業で米国内の雇用増加に貢献するなどです。その場合は日本国内の雇用を悪化させないような、適切な分業――例えばコア部品は日本で開発・製造して米国で組み立てるなど――が必要でしょう。
また今よりは円高に誘導することが前提ですが、コモディティ的な農産物の輸入拡大も検討する価値があると思います。日本の農産物はコモディティとしての国際競争力はほとんどありませんので、輸出向けも含めて主に高付加価値ゾーン狙いに切り替え、国内向けのコモディティには米国産をもっと利用するのも一案です。
通商上のどんなアイデアも、これまでの単純な自由貿易的発想ではなく、相手の国民の状況に合わせた発想が必要でしょう。すなわち、しっかりと時間をかけて設計され、細かくマネジメントされた「新・管理貿易」に移行していくのです。
②所得の配分を見直す。重要な投資先は「人の学習」
極端な経済格差は、銃乱射などの大量殺人事件を引き起こしたり、戦争の遠因になったりするなど、社会にとって良いことは一つもありません。歴史上、それはすでに十分証明されています。絶望感しか持てない人をつくってはいけないのです。
では、人を絶望させるほど大きな経済格差をなくすにはどうすればいいか。
まずは、搾取的な資本家中心のコーポレートガバナンスを変革し、従業員や中小の取引先、フリーランスなどへの配分を大きくする必要があります。これも簡単なことではありません。法律や制度の見直しは当然ですが、それに加えて私たち一人ひとりが生活者、消費者、労働者として企業を厳しく監視する必要があります。状況によっては不買運動をするなども必要でしょう。労働者・生活者の目線で企業のガバナンスを強化する社会規範や制度を整備することで、行き過ぎた資本市場を制御し、社会基盤を支える人々への再配分を行うべきです。
再配分においては、まずは所得面、その次に税制面での見直しをすべきと思います。所得の再分配だけでは、行き過ぎた資本市場に依存する社会システムを修正しきれないと思うからです。金儲けに取りつかれた人は、税金をのがれるために会社の本籍を変えたりタックスヘイブンに本社を移したり、税制の裏をかいたテクニックを使うのです。
所得の再配分の施策は、現在の貧困層だけでなく、貧困に陥るのを未然に防ぐための経済的支援などが優先されるべきでしょう。ここで重要なのは人への投資、具体的には教育投資です。それも若い時期だけでなく、生涯を通じて学習し続けられる教育の仕組みへの投資です。
古代中国の老子は「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」と説きました。後段の意味は、「努力を続ける人間はそれだけで志を成し遂げている」ということです。質素、規律正しい生活と並び、「勤勉」は、人が自然や他人と幸せに共生するうえでとても大事な態度です。すべては「人が学ぶこと」から始まるのです。
③大切なのは経済だけではない。文学・音楽など芸術の役割を見直す
2021年に公開された映画『ノマドランド』は、アメリカ西部の路上に暮らす車上生活者たちの生き様を描いた作品で、ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド 漂流する高齢労働者たち』が原作です。私はこの映画を見て、今の米国の地方に住む人の置かれた状況を理解したとともに、そういった立場にある人々が他人と心を通わせ、助け合って生きていく姿、些細な思いやりの行動に強く感動しました。
現在のトランプ現象を見ていると、関税政策や政府予算削減など既存の仕組みの破壊とも言える過激な行動ばかりに目が行きがちですが、「ノマドランド」のような映画や文学を通して、トランプ現象の裏にあるものを理解することはとても重要だと思います。
映画に限らず、小説、ノンフィクション、音楽、絵画などなんでも構いません。文学や芸術は、国も地域も文化も超えて、感覚・感情レベルで共感を生み出すことができるからです。次の時代を切り開くため、人間の持つ「共感力」が今ほど大切なときはないでしょう。