こちら戦略編集局~戦略コンサルタント高橋透の日記風コラム~

日本の企業の多くの問題は「営業」にある

韓国現代自動車が、世界第4位の日産&ルノーに僅差に迫る販売台数になったと聞く。
昨年中国のメガディーラーの社長に聞くと、最もマーケティングがうまいのは
現代自動車だと聞く。品質はほぼ日本と同じ。
しかしマーケティングや営業に資源を思いきって配分していて、
ディーラーも販売しやすいとのこと。

企業のグローバル化に関しては、生産や設計も多くの問題を抱えるが、
経営機能の中でも営業・マーケティングが最も後れている。
全中国でのビールシェアNO.2のサントリーも、営業、マーケティングに
相当の投資をして、現在の地位を獲得した。

顧客の情報の入り口である、営業、マーケティングのグローバル化が
今最も求められていることなのかもしれない。

2011年6月10日 | カテゴリー: 未分類 |

震災復興の視点

震災復興の視点がようやく見えて来たような気がする。
キーワードは「グローバル」。
「グローバル」という言葉にはネガティブな意味も無いわけでもないが、
やはり、現代を表す重要なキーワードであることには変わりない。
むしろポジティブに使っていきたい。

日本は、技術、ノウハウなどを戦略的にオープンにするアライアンスなどで
競争と協調をうまくバランスさせながら世界に開かれたものにするべきである。
震災で問題になったのは、日本の組織の「内向き」の思考、行動である。

外から見えてどうなのか?
外部をもっと活用できないのか?
外部との連携の中で解決策が見いだせないのか?

「グローバル」とまでいわないまでも、今、「外部」を活用した発想と行動への転換の機会である。

2011年6月10日 | カテゴリー: 未分類 |

学生のベンチャー精神

この10月から母校の上智大学経済学部で「新製品、新事業開発」の講義を行っている。
学生に自分が将来やってみたい製品、事業のアイデアやコンセプトを企画してもらっているが、
実にユニークで、着眼もよい。
音楽、アウトドア、ファッション、介護、出版、留学、レストラン、海外ビジネスなどなど。
製品の企画をスケッチしてもってくる人もいる。
会社に入って人に言われるままに仕事をするよりも、自分で何かしたい。
就職氷河期といわれているが、こういったベンチャー精神があれば日本も将来が明るい。

2010年11月29日 | カテゴリー: 未分類 |

戦前の日本のオリジナリティ

宮本常一という昭和の民俗学者がいる。日本の地方の村々を回り
地域の庶民の生活文化を膨大な記録として残している。
1981年に他界しているが、たくさんの書籍が出版されている。
私が知ったのは宮本氏が他界した後だが、どの著作を読んでも、
何か新しい発見をくれる。
 
宮本氏の著作を読んでいると、戦前の日本は今よりもオリジナリティ
豊かな社会だったんだなあと思う。地域にそれぞれの祭りがあり、
山車があり、唄があり、食べ物があった。
今のように物が無かった時代だから、周りのものを工夫してつくる。
当然オリジナルなものになったのだろう。
 
選択肢多い現代。
ついついランキングトップやお勧めに頼りがちであるが、
オリジナリティはかえって失われているのかもしれない。
むしろ物が少ない時代の方がオリジナリティがあったというのは、
なにか皮肉な気がする。
 
今は宮本氏の「宮本常一とあるいた昭和の日本」(農業文社)という
のを読んでいる。

2010年11月24日 | カテゴリー: 未分類 |

市場規模を測定することの意味

普通、製品開発や事業開発を行う場合には市場規模を測定する。
現に私自身もそのように著書で述べているし、講義などでも話したりしている。
しかし、市場規模を測定することにどれだけ意味があるのだろうか?
市場規模とは、すでに消費するニーズが存在していることを前提としている。
今そのような既にニーズが存在している製品やサービスなどあるのだろうか?
豊かになった日本や先進国の今では、提案してみないと解らない。
しかもヒットする製品やサービスのほとんどは「心」や「気分」に関係したものである。
「心」「気分」を癒し、共有し、自分の発展につなげてくれるものがヒットする。
それが成熟市場というものの本質なのだろう。

2010年11月24日 | カテゴリー: 未分類 |

今の20歳台は緊張感がある

今年の新卒は「ゆとり教育世代」などと言われているが、大学の学生さんや、20代で大企業に就職せずに、海外の大学で勉強したり進んで中小企業でがんばっている人とあうと、「緊張感」と「行動力」にあふれている。むしろ問題は我々40歳代ではなかろうか?守りにはいっているのではないか?仕事や生活で「挑戦」することが少なくなっているのではないか?

現代の特徴は、人類が経験したことの無いほどのスピードで世界が動いていること、そして「完全な解」なく、連続してその場の解を「創発」することである。学校で学ぶのは「限定された環境での答え」である。我々40歳代の世代は、この「限定された環境での解」を出そうとして無力感におそわれてしまってはいないか?20歳代の将来のリーダーと接して、そのような問題意識を持った。

2010年10月17日 | カテゴリー: 未分類 |

ぼんやりする時間

 私が幼少のころは、夏休みともなるとぼんやりと一日過ごす日が何日もあった。
中学受験などもなかったし、宿題もたいした量ではなかった。大学に入っても夏休みは
アルバイトもせずに、クーラーもない下宿でぼんやりとしたり、何日も小説を読んだり
することが多かった。
 いま、年代問わず、ぼんやりとする時間が少なすぎるように思える。ぼんやりと
することは体をやすめるだけでなく、考えをゆっくりと整理したり、思考を休めたり、
生きていく上で大切な時間だと思う。
 流れる川をじっと見る、雲の形が変わっていく様を眺める、奥深い山々に絡みつく
ように這う霧を眺めるなど、古代から人間の生活の中にあった習慣の大切さを、
夏休みを機にやってみるのもよい。

2010年8月15日 | カテゴリー: 未分類 |

将来どうなるか解らない方がおもしろい

  自分の年収、受け取る年金、会社での地位など将来が見え過ぎているとも言えるし、見えなく不安であるとも言える。しかし、どちらかと言えば見えすぎてつまらなくなっているような気がする。人類は常に自然界で、病、災害、戦争など見えない世界と戦って、生き延びてきていたはずである。実は数万年以上の歴史の中でこれほど見えてしまっている時代は無かったのではないだろうか。
 本当の生きている実感とは、過去とは全く異なる変化する見えない世界の中で瞬間、瞬間を生き延びることなのだと思う。見える世界ばかりを相手にしてきているから、見えない世界に脆弱になっているような気もする。
 企業経営も、確実性ばかり追究され、不確実な中でどう成長させるかが忘れられている。

2010年8月9日 | カテゴリー: 未分類 |

分別しすぎないこと

 アメリカ、日本、欧州などのいわゆる「先進国」の景気があまりよくない。それに比べ中国、ブラジル、ベトナムなどの新興国が依然元気である。よく考えてみると「先進国」の景気悪化のきっかけは、すべて経済統計データーにある。先進国では社会、経済活動が、キチンと論理立てられ、データー化されている。そしてそれがICTでリアルタイムで管理されている。悪い情報は瞬時に「先進国」の間で連鎖する。
 一方新興国の社会経済統計データーは、それら「先進国」と比べ信憑性に欠け、リアルタイムではない。そのせいか経済も統計データーよりも、自分の肌感覚、相対の取引関係が中心に経済活動が進められている。
 先進国の不況はデーター化されすぎた社会のつまらなさを表しているようだ。何もかも分別しすぎなのである。

2010年8月8日 | カテゴリー: 未分類 |

ビジネスにおける結果から考えることの重要性

日本も高度成長時代はもっと結果からものごとを考えていたのだと思う。
決してものごとの「プロセス」を粗末にするつもりはないが、今の日本の企業、
行政などの組織は、結果と結びつかない無駄なものが多くなりすぎて、
「プロセス」としても意味のないものが多いように思えてならない。
いったんすべてやめてしまう。そのぐらいの発想がなければ
日本経済や社会の先は見えないのはでなかろうか。

その点で成熟した日本人、日本の組織はアジアの成長する国や
そこで働く人に学ぶことが多いのではなかろうか。
彼らは常に急いでいる。だからいつも結果としてどうあるべきか?
そのために何が必要なのか?それは世界のどこにあるのか?と
結果から発想している。

今の日本にとって現代の成長する国とそこに働く人から学ぶことは多い。

2010年3月4日 | カテゴリー: 未分類 |