ウイスキーにみる日本のモノ造り
いつも大阪から京都の間、少し京都よりで新幹線の車窓から見えるサントリー山崎蒸留所。
正月明けの最も寒さが厳しい8日、高分子化学関係の研究者や企業人が集まる会が
その京都山崎で開催された。
そこで、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも取りあげられた世界トップクラスの
ウイスキーのブレンダーである輿水精一氏に1時間ほどお話を伺う機会を得た。
輿水氏の話のなかで印象的だった話を紹介する。
同じウイスキーで同じような作り方だが、日本のウイスキーづくりは
本場スコッチウイスキーとは違うところがある。
・作り手のバランス感覚
・協同作業が得意
・融合化する力が強い
・伝統を守ることと革新の調和
・細部へのこだわり
原酒は多様な方がよい。一般的に出来の良いものだけでは
よいウイスキーはできない。できるだけ多様でなければならない。
一方で徹底した管理も重要。また樽の木の選定、伐採、樽づくりを
自前で行う、本物づくりには徹底したこだわりが必要とも。
日本人のモノ造りの原点がここにあるよう気がした。品質ブランドに関わるならば、
どんなことがあっても妥協せずに徹底して行う。日本の風土文化の強みを生かし、
他にできないモノ造りを行うこと。今一度日本のモノ造りを見直していかねばならない。
2010年1月13日 | カテゴリー:
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最近の若い人は考える力が落ちている?
「最近の若い人は考える力が落ちている。大学でもそれはひどくなっている」
といった話をよく耳にします。何でもネットで検索すればすぐにわかってしまう時代だから、
確かにそうなのかもしれない。
私がそれを感じたのは、中学、高校時代でした。私自身が考える力が相当低いなと
感じることがあった。特にそれは授業、試験などの学校での勉強時間であった。
考えなくても前に進めばよい。試験さえクリアすればよい。
むしろ試験でよい点数をとって、少しでもよい大学に行けばよいという風潮が強かった。
大学に入ると、そこはレジャーランドであった。多くが週末や長期休暇を過ごし、
そのために稼ぎのよいアルバイトは何かを考えていたように思える。
会社に入ると、毎年ある会社行事や期末は業績に追われた。結婚し、住宅を購入し・・・。
よっぽど何かがなければ深く考える習慣はどこにもない。
だから今私達よりも若い世代は「考える力がない」といっても自分自身もたいして考える力はないのだ。
50歳代も多くは同じだと思う。
ならばどうするか。環境を変えて自分を追い込むのだ。考えざるを得ない場所へ。
自分を逃げられない状況に思い切って持って行く。
そこで初めて終わりのない「いったい何のため」「どうやって」を考え始めるのだと思う。
しかしそれが幸せかどうかは別の問題。
2010年1月11日 | カテゴリー:
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内発的な動機で変化するために
「言われてやる」「会社の方針だから仕方がない」「他社がやり始めたから
ウチもそろそろ考えなければ」こういった変化には「なぜ自分はそれをやるのか」
といった内発的な動機はない。内発的な動機?どうやればそんなものが生まれて
くるのか。原点にかえってみると次の2つを自分自身に問い、考え、答えられな
ければならない。
①自分はいったい何者か?
②自分は社会の歴史の中で、どこにいるのか?
①自分はいったい何者か?
は自分の個性、特異性、強みや弱みを周りとの関わり合いの中から相対的に
定義づけること。
②自分は社会の歴史の中でどこにいるのか?
は、大きな社会単位の因子、きっかけ、結果という連続する変化の中で
今自分はどのあたりにいるのかを認識すること
この2つの問いを、住んでいるコミュニティ、所属する会社や組織、家族、
自分自身という対象で考えることが、「内発的な動機づくり」の近道なの
だと思う。
2010年1月11日 | カテゴリー:
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内発的な変革意識
2000年代を振り返ってみると、政治も企業経営も一種の「改革」ブーム
の時代だったともいえる。政治改革、行政改革、経営改革、組織改革、
意識改革・・・。
その背景には、米国流の市場原理主義があったように思える。
「市場化、民営化すること=改革」というイメージがあった。それらは
言わば外からの改革。確かに日本ではそれも必要。しかし、本当に
重要なのは「内発的な改革」。自らが自分自身の理解、意味づけで
「やらなければ」と思うこと。そんな土壌、環境をつくること。それが
本来のリーダーの仕事であろう。しかしそれは「忍」の仕事でもある。
2010年代は、「自分自身とは何か」ということと「自分は今どこにいるのか」
という2つの問いを自分自身にすることで、内発的に自分を改革することが
できればと思う。
経営者の緊張感
今日から新年の業務をスタートする会社もあろうかと思うが、最も気になるのが
日本の経営者、幹部社員の緊張感である。
会社は経営者や現場をリードする幹部社員のやる気と緊張感で決まる。
その経営者の緊張感がどれほどなのかを把握したい。
残念ながら新聞などの新年特集からは、グローバル経済の変化の本質を把握した
緊張感は感じられなかった。広告ほしさの記事が多く、本来のマスコミの使命が
失われてしまっている。大変残念だ。
政治家の緊張感はどうか?政府は国民に日本の財政の現状、過去からの負の遺産を
直視してもらう活動をもっと行うべきではなかろうか?すでに赤字国債は戦時中のレベルを
超えている。国民に当事者意識を植え付けるべきではないか。
米国的なものをどう活用しどう対抗するか
米国的なものの特徴とは、「細部はラフだが実理主義的な面では
かなり効果的なものやサービスとダイナミックな仕掛け、仕組み」と言えよう。
マイクロソフト、アップル、グーグル、アマゾン、マクドナルドなど私達個人も
その恩恵をうけている。多少アラっぽくても、環境によかろうが悪かろうが、
使ってみてバージョンアップしたら捨てて、しかし「大筋大変便利」というところであろう。
一方日本的なものの特徴とは、「細部まで丁寧にできていて工芸品的、
職人芸的なまでに真面目で、精緻なこと」ではなかろうか。
使う度に品質の高さ、そこから来る安心感を持ち続けられる。
トヨタ、ホンダなどの自動車産業、キヤノン、ニコンなどのカメラ産業、
そのほか無印良品、ユニクロ、資生堂などが代表的である。
昔のモデルもコレクションしておいて、たまに使ってみて、当時の設計水準の
高さにあらためて感動したりする。
世界の政治・経済における日本の実力と個性を考えると、米国的な土俵で
勝負するのは難しいし、危険なことである。
むしろ米国的なものを利用して、日本的テイストのファンをいかに創り出すか。
そこが勝負ではなかろうか。
そのテイストの中に「もったいない」という自然界に対する人類の節度、
つまりエコロジーの要素を入れていければもっとつよくなれるのではないだろうか。
軍事、情報通信、金融など米国的なものはこれからも世界に広がって行くと
思われるが、その米国的なものと共棲しながら、日本的なものを広げることは
まだまだこれからのような気がする。
グローバルな視点で日本と日本企業を見ていきたい
米国も米国そのものを見ても解りにくいところがある。
EUやアジア、中東を通して見ればむしろよく理解できるかもしれない。
EUもかつて植民地にしていたアフリカ、アジア、中国から、その昔は
米国からみると、今のEUが多くの戦争を繰り返してEUを作り上げたの
かがよくわかる。
グローバルで物事を見る考えるというのは、三つ以上の地域から
ある一つの地域を考えて見ることではないだろうか。
いま日本という国を、中国、EU、米国、アジア、中東などの価値観
のことなる視点で見ることで、多くの発見があるのだと思う。