多くの企業では、「企業は人なり」、「人材ではなく人財」、「人材育成は経営課題」というように、常に人材や人材育成の重要性が叫ばれています。ところが、実際に不況になると、真っ先に削減されるのは人材育成にかかる費用です。人材育成が大切なことはどの企業も認めるところですが、実は、経営上での優先順位はそれほど高くないというのがこれまでの現実でした。
しかし、ここにきて、激しい環境変化や競争のグローバル化を勝ち抜くために、競争力の向上という明確な目標を据え、経営戦略の優先課題として人材育成に取り組む企業が増えてきました。その取り組みは、ともすると精神論的であった旧来の人材育成とは一線を画し、非常に戦略的なものです。
本コラムでは、製造業を取り巻く環境や人材育成の現状を踏まえた上で、新しい人材育成の潮流である「個の能力を引き出す戦略的な人材育成・活用」についてご紹介いたします。
■厳しさを増す人材面の環境
製造業を取り巻く環境は激しく変化していますが、中でも人材面における環境は、今後、間違いなく厳しくなっていきます。まず、外部の環境を見てみると、「人材不足」が深刻な問題としてあげられます。特に日本国内では、少子高齢化による労働力の減少は避けることができません。加えて、若者の製造業離れも進んでいるため、将来的に製造業の人材不足は大きな不安要因です。また、人員不足に輪をかけるように、近年の技術変化の加速によって、社員の「スキルの陳腐化」も以前より格段に速いスピードで進んでいます。企業は、新しい人材の獲得だけでなく、社員の「スキルの陳腐化」へも対処を迫られています。
一方、社内に目を移すと、こちらも放っておけない問題が山積みです。「人材の流出」はその1つです。今の20代、30代の若い世代は、就労感、価値観が多様化しています。自分の「成長」、「キャリア形成」、「市場価値」、「チャレンジの場」などを求める人の割合が増えており、仕事内容が合わなければ転職するということも一般的になってきました。さらに最近は、社員のモチベーション低下を危惧する声も盛んに聞こえてきます。製造業では、仕事の専門化や分業が進み、以前に比べて仕事や技術の全体像が見えにくくなりました。また、短期的な成果を求められるため、将来を見ている余裕もありません。その結果として、夢や目標をもつことが難しくなり、全体的にモチベーションの低い人が増えていると言われています。
今後は、“人が採れない”、“採っても育成しないと活躍できなくなる”、さらには“育成しても流出してしまう”というように、人材面では非常に厳しい状況が予測されます。この局面を乗り切るためには、社員1人ひとりの関心や価値観へ対応し、その上で個々の能力を引き出し、最大限に活かしていかなければなりません。今、企業は、「個の能力を引き出す戦略的な人材育成・活用」へ人材戦略の舵をきりはじめています。
■個の能力を引き出し、組織の力へ変える
人材面の環境変化の中で、最も懸念されるのが人材不足です。日本は、「少子高齢化による労働人口減」と「若者の工学部離れ」という大きな問題を抱えています。
まず1つ目は、少子高齢化に起因する日本の労働人口の減少です。日本の労働人口は今後も減少を続け、2050年には、2010年現在の81,000千人より40%も少ない49,000千人程度になる見込みです。これは、どの産業にも共通する問題ですが、あらためて下のグラフ(表1)を見ると、今後の人材獲得が難しくなることが一目瞭然です。企業の人材不足は避けることができません。
さらに2つ目として、製造業にとってはもう一つの深刻な問題があります。それは、学生の工学部離れです。下のグラフ(表2)からは、1993年には62万人いた工学部志願者が、16年後の2009年には24万人に減少していることがわかります。もちろん少子化の影響もあるのですが、他の学部の志願者数と比べると、極端に工学部の志願者数が減っています。約15年で、工学部志願者数は実に60%以上(38万人)減っており、製造業人気が低迷していることを示唆しています。
人口減に加え、工学部離れも加速していることから、今後、日本の製造業の人材不足は非常に深刻です。もちろん、国内の人材獲得競争に勝つことや、外国人の採用を増やすことにも手を打たなければなりませんが、同時に、「今ある人材を最大限に伸ばし、活かすこと」が大変重要になります。これまでのように「人材が鍵」といった掛け声だけではなく、あらためて社員一人ひとりの能力に着目し、それらを最大限に引き出し、組織の力へ変えていく取り組みが必要なのです。
■企業戦略と人材育成を連動させる
個の力を引き出し、組織の力へ変換していくには、どうすればよいのでしょうか。そのためには、まず、企業戦略と人材育成を連動させることが不可欠です。
これまで多くの日本企業は、年次や役職という集団ごとに、新入社員研修、入社3年目研修、管理者研修などを行う階層別研修を人材育成の中心に据えてきました。また、職場においては、OJTという名のもとに、あまり計画的な人材育成は行われていませんでした。人材育成は労務管理の一環としてとらえられ、企業戦略と連動していることはほとんどなかったといっても過言ではないでしょう。そのため、どこの企業でも似たような研修が行われていました。
ところが今後は、激しい環境変化の中、グローバルな競争に勝ち抜くためには、これまでの集団ごとの一律な階層別研修や、計画性のないOJTだけではもはや生き残ることが難しくなってきました。近年、技術変化のスピードがますます加速しているため、社員に求められるスキルも短期間に変化しています。例えば、ガソリン自動車から電気自動車への移行は端的な例でしょう。以前は機械制御だったブレーキも、電気自動車ではソフト制御になっています。機械系のスキルをもった技術者は、あらたにニーズのあるスキルを習得していかないと活躍の場がなくなってしまいます。
また、グローバル化の波も社員のスキルを陳腐化させてしまいます。情報家電を製造しているある電機メーカーでは、かつて100%国内で生産を行っていましたが、数年前から中国の工場でも生産を始めました。当初、中国ではローエンドの普及モデルを製造し、フラッグシップモデルは日本で製造し続けるという予定でした。しかし、中国工場の能力があがるとともに、移管が難しいとされていた加工技術もすべて中国で行うことが決定しています。その結果、日本の工場にいる加工系の技能者は、予期せず、突如として自分のスキルを発揮する場がなくなってしまいました。
私はこのような状況を“スキルの突然死”と呼んでいます。スキルの突然死を招かないためには、将来を見据えて新しいスキルを獲得していかなければなりません。また、企業側は、将来の技術動向や市場動向を踏まえ、企業戦略上で将来必要な仕事やスキルを社員に対して明示し、それに向けて戦略的に社員の能力開発を行わなければ、社員が活躍できなくなってしまいます。企業戦略と連動した人材育成を行わない企業は、競争から取り残される危険性が高まっています。
■個人と組織の目標をすり合せる
社員の能力を引き出し、組織の力へ変換していくためには、もう1点、「個人の目標と組織の目標のベクトルを合わせる」ことも大変大切です。以前は、年功序列・終身雇用という日本型の人事制度のもと、悪い言い方をすると、社員の目標はさて置き、組織の目標を達成するために社員を活用すれば良かった時代でした。しかし、社員の就労感、価値観が多様化した現在では、社員の目標や価値観に耳を傾けなければ、社員を維持することが難しくなってきました。組織と社員の関係は、以前の縛り・縛られる関係から、お互いに選び・選ばれる関係へと変わりつつあります。今後、企業は、社員を維持するために、社員一人ひとりの関心や価値観へ対応していかなければなりません。
具体的には、個人の目標と組織の目標をすり合せるために、会社側が企業戦略において将来必要となる人材像を示すことが求められます。どのような職種や仕事が必要になるのか、そこで求められる行動や能力要件はどのようなものか、またどのようなキャリアパスがあるのか、などを目に見える形で社員に示します。その上で、人事や上長が部下とコミュニケーションをとり、本人の関心や価値観と合うキャリア開発を支援していくという姿勢が必要なのです。
そもそも、すべての社員が明確な目標を持っているかというと、実際はそうではありません。多くの社員は、目標を持てず、モチベーションが上がらない状況で苦しんでいます。会社側が必要な人材像を明確に示したり、人事や上長からキャリア開発に関するコミュニケーションをとったりすれば、社員は目標を設定することができ、モチベーションを高めることも期待できます。目標をもった人は、実際それに向かってよく努力もするし、成長していきます。ここで、個人の目標と組織の目標のベクトルが合っていれば、社員の成長は、組織の成長や推進力につながっていきます。
本コラムでは、「個の能力を引き出し、組織の力へ変える」、「企業戦略と人材育成を連動させる」、「個人と組織の目標をすり合せる」という今後の人材育成に必要な3つのポイントを取り上げました。製造業が、激しい環境変化と個人の価値観の多様化に対応していくためには、いま一度競争力の源泉として人材に着目し、事業戦略上で将来必要になる人材を惹きつけ、育成し、維持し、活用するほかありません。「個の能力を引き出す戦略的な人材育成・活用」は、企業規模の大小に関わらず、生き残りをかける企業にとって待ったなしの課題です。
今回は、個の能力を引き出す戦略的な人材育成・活用が必要になっている背景とその内容についてご紹介しました。次回はそれを実行する方法論について考えてみたいと思います。