イノービアの企業理念は「人材育成を通じて製造業で働く人の成長と製造業の競争力強化に貢献すること」です。代表取締役を務める山川隆史さまは30歳前半ながら、日本の製造業を技術者の教育から支えることに使命感を持つ情熱家。
新興国の台頭などにより、かつては技術大国日本と言われた日本の製造業の勢いは陰るばかりです。自らが製造業に携わり、日本の技術力に誇りを持つ山川社長は衰退の一途をたどる製造業界の状況に耐えきれず、技術者教育、研修という領域に足を踏み入れました。
企業の活力の源泉は人材と言い切り、日本の製造業の復興を信じて止まない山川社長の思いを今回から3回にわたりご紹介させていただきます。
ニューチャーネットワークス 小林 純子
株式会社イノービアは、2006年3月に創業した製造業の人材育成を支援する会社です。技術系の各種研修や、社員の能力・キャリア管理、研修管理などを行うソフトウェアサービスを提供しています。
私は、人にどんな事業をやっているかを聞かれると、『製造業の人材育成インフラをつくっています』と答えています。人材育成インフラとは、企業の人材育成や企業で働く個人の能力開発を支える「学習コンテンツ」、「システム」および「サービス」などの基盤をさしています。例えば、学習コンテンツであれば、様々な技術分野・ビジネス分野の体系的な教材が必要とされています。また、システムでは、遠隔学習の運営や社員の能力・キャリア管理をするようなシステムも必要です。
18世紀の産業革命では、重要なインフラとして、鉄道が経済の発展に大きな役割を果たしました。時代は移り、今は知識集約型、イノベーション集約型の経済へと移行しています。企業にとっては、人の「知恵」や「才能」が最も重要な資源になっていきます。当社は、そのような時代の中において、鉄道ならぬ、人の成長を後押しする人材育成インフラを張り巡らせたいと考えています。
■半導体業界からイノービア創業へ
私はもともと化学メーカーで、電子材料の技術営業をしていました。電子材料とは、半導体や電子機器の製造に使われる材料で、日本が世界的に大きなシェアを持っている製品です。当時、私は海外の半導体メーカーとの次世代材料の開発プロジェクトに携わったり、アジアやアメリカを中心に、電子材料のマーケティングや営業の仕事をしたりしていました。
運良く最先端の技術開発に関わることができ、また、世界中の技術者と仕事をする機会にも恵まれました。成果がなかなか出ずに苦しい時期もありましたが、非常に充実した日々でした。しかし同時に、これらの仕事上での経験がきっかけとなり、起業への思いが募る事になります。
私が前職で技術営業を担当しはじめた1998年ごろは、ちょうどペンティアムⅡという半導体(パソコンに搭載されるCPU)が発売され、「インテル入ってる」というテレビCMとともに、半導体業界においてインテルの強さが際立ち始めたころでした。その反面、日本メーカーは、1980年代後半に世界シェア50%を誇ったお家芸の半導体分野で徐々にシェアを落とし、勢いの増す韓国や台湾勢との競争に苦戦している時代でした。市場規模の大きいDRAMと呼ばれる半導体では、一時は日本企業の市場シェアは70%を超えていましたが、当時はついに20%程度まで低下していました。
私は電子材料の技術営業をやっていましたので、当然、最先端技術で競争力をもつ企業や、市場シェアの高い企業を狙うことになります。そのため、必然的に海外メーカーと付き合う機会が多くなりました。欧米・アジアの海外半導体メーカーを積極的にサポートする一方で、日本メーカーの復活を望んでいるという複雑な心境でした。
このような環境の中、私は半導体のトップ企業である海外メーカーA社と、次世代材料の開発プロジェクトに6年間、関わっていました。プロジェクトを通して、A社の人材育成に触れる機会も多く、私自身もA社の研修に参加することもありました。
A社の行っている人材育成は、一言でいうと「非常にシステマティックで合理的」でした。これまで他の日本企業で見てきた人材育成は、OJTという耳ざわりのよい言葉で語られていますが、実際には「見て学べ」というような育成が大半で、お世辞にも戦略的と呼べるものではありませんでした。
このA社の人材育成との出会いは非常に衝撃的で、「日本企業もこのようなシステマティックな人材育成をしないと絶対に勝てない!」と痛切に感じました。この出会いがきっかけとなり、後に起業を志すことになります。当時を振り返ると、「日本の製造業が生き残るためには、自分が行動を起こすしかない」と勝手に一人で熱くなり、早く起業しなければと焦っていたことを思い出します。
■システマティックで合理的な人材育成
さて、起業のきっかけになったA社の人材育成について、素晴らしいと感じたことを2点だけご紹介したいと思います。
1つ目は、「教育プログラムが体系的で継続的である」という点です。仕事で必要とされる内容の講座が、技術からビジネスにいたるまで体系的に揃っています。これらの講座は、世界中の各工場に配置された企業内大学と呼ばれる研修施設で、スケジュールを決めて計画的に提供されています。そのため、社員が必要なときに必要なことを学ぶことができ、社員にとってあてにできる存在になっています。
2つ目は、「共通の教育プログラムを徹底して全社展開している」ということです。同社では、1つのプロジェクトに世界数カ国のメンバーが参加し、定常的に多国籍チームでプロジェクトを進めています。まさに、世界中で人材を採用し、育成し、活用しているグローバル企業です。これらのバックグラウンドも価値観も異なる多国籍のメンバーが、地理的に離れた環境でうまく仕事を進めている最大の理由は、人材育成であると感じました。
同社では、世界中にいる社員が、共通した教育プログラムを受講しています。例えば、「品質管理で用いる統計的手法」から「効率的な会議の進め方」といった講座まで、共通の内容を徹底しています。そのため、このような統計的手法や会議の進め方が全社員の共通言語となり、仕事標準になっています。
会議の進め方で面白い例を挙げると、会議中に誰かが議題から脱線したとします。すると、司会をやっている技術者は、『その話は重要だけれども、今日の議題とは違いますよね。関係するメンバーに声をかけて、別途会議を設定してもらえますか。では本題に戻ります。』という具合に仕切ってしまいます。まさに、研修で教えている「効率的な会議の進め方」が浸透しているわけです。指導を受けた人は、その場で会議の進め方について実地教育されていくことになります。このように、同じ教育プログラムを徹底して全社展開していると、研修で学んだことを仕事の段階でも使わざるをえないため、非常に教育効果が高くなります。
翻って一般的な企業に目を移すと、「一部の社員に研修を受けさせる」→「職場で使う機会がない」→「いずれ忘れてしまう」というまったく逆の状態に悩んでいる企業も多いのではないでしょうか。日本企業が真のグローバル企業になるためには、単なる語学教育やダイバーシティ(多様性)の研修ではなく、もっと全社的なシステマティックな人材育成が必要ではないかと考えています。
■経営理念:製造業で働く人の成長を支援する
イノービアは、“人材育成を通して、「製造業で働く人の成長」と「製造業の競争力強化」に貢献する”という経営理念を掲げています。
ここ数年、技術変化の加速、競争のグローバル化、さらには少子高齢化による国内労働力の減少など、製造業を取り巻く環境は一段と厳しくなってきました。アジア諸国のキャッチアップの勢いも猛烈で、日本のモノづくりは、競争力を維持できるかどうかの岐路に立たされています。
一方で、製造業で働く個人に目を向けると、こちらも全体的に元気がありません。不況によるリストラの影響や短期成果を求める業績圧力によって、かなり疲弊しています。また、仕事が専門化・分業化されたことによって、従来のように技術や仕事の全体像を捉えるも難しくなっています。その結果、目標を設定することもままならず、個人のモチベーションも深刻なほど低下しています。
このような状況を打破するため、企業はいま一度、活力の源泉である“社員一人ひとりの才能、個性、強み”に着目し、社員を育て、最大限に活かしていくことが不可欠です。また同時に、製造業で働く個人が夢や目標をもち、日々の仕事において燃焼し、成長を実感できるような環境を実現しなければ、もはや日本のモノづくりはこのまま沈没してしまうのではないでしょうか。
当社は、製造業で働く人が活き活きと仕事をし、成長することに貢献したいと考えています。そして個人の成長を、企業の競争力強化へつなげることを目指しています。
■ビジョン:人材育成インフラをつくる
経営理念である“「製造業で働く人の成長」と「製造業の競争力強化」に貢献する”ためには、その基盤となる人材育成のインフラを構築したいと考えています。近い未来に実現したいこととして、次の2つのビジョンを持っています。
1) 必要なときに、必要なことを、効率よく学習できる環境を整えること
2) 人の成長および人材育成を可視化するための仕組みを提供すること
1)必要なときに、必要なことを、効率よく学習できる環境を整えること
「空腹は最高の調味料である」という言葉があります。お腹が空いているときに食べるものは、どんな味付けよりも美味しいという意味ですが、人材育成や学習でもよく似たことが言えます。仕事において必要と欲しているときに、必要なことを学習するのが最も効果があがります。
これまで、eラーニングが普及すれば、“いつでも、どこでも学べる”という世界が広がると期待されてきましたが、実際には学習する環境を激変させるところまではいっていません。また、中小企業では体系的な教育プログラムを揃えることは難しく、地方の企業は都市部で開催される研修に参加することもできません。インターネットを介したリアルタイムのWeb講義も普及し始めましたが、まだこれからです。世の中には良い教材があっても、それを見つけるのも簡単ではありません。
当社では、まず世の中にある製造業向けの教育研修や教材を徹底的に探し、情報ポータルに体系立てて整理することから始めています。ニーズがあるのに不足しているものは補い、優れたものはもっと紹介していきます。現在、製造業で必要な基礎技術とビジネスについて学べるスクールの準備も進めています。今後は、新しいIT技術なども交え、必要なときに、必要なことを、効率よく学習できる環境をつくっていくことを目指しています。
2)人の成長および人材育成を可視化するための仕組みを提供すること
当社は、2つの視点から、人の成長と人材育成を可視化することが重要だと考えています。
1つは、個人のモチベーションを上げるためです。技術者などの製造業で働く人は、短期の業績圧力や分業化の影響で、将来を見通すことや仕事の全体像を捉えることが難しくなっています。そのため、キャリア目標を立てることもできず、モチベーション低下を招いています。
この問題を解決するためには、「キャリアの可能性」、「キャリアパス」、「仕事の全体像」、「仕事に必要な能力要件」、「自分の保有能力」などを、個人に見えるようにすることが必要です。これにより、個人は目標を設定し、目標に到達するために不足しているスキルを磨き、成長を実感できるようになります。
もう1つは、企業の戦略的な人材育成・活用を後押しするためです。終身雇用を前提としていた時代の悠長な人材育成は、もはや成り立ちません。これからは、経営戦略の一環として、戦略的な人材育成・活用をできない企業は淘汰される時代になってきました。ただし、戦略的にといっても、戦略を立てるためにはその元となる材料が必要です。これまでは、この材料がそろっている企業はあまり多くありませんでした。
人材育成において戦略を立てるための材料とは、経営戦略上で必要になる「人材要件」や「社員の保有スキル」などです。将来必要になる人材要件と現状の社員の保有スキルがわかれば、あるべき姿と現状でどれくらいのギャップがあるのか、質と量の両面で明らかになります。ギャップさえわかれば、あとはそのギャップを埋めるための人材育成・活用の計画を立てれば良いことになります。
人の成長および人材育成を見える化することは、企業にとって当たり前のことのように思えます。しかし、これまではほとんどできていませんでした。当社は、人の成長や人材育成を可視化するためのシステムやコンテンツを整備していきます。
私は、『ビジョナリーカンパニー』という本の中で紹介されている“時を告げるのではなく、時計をつくる”という言葉が気に入っています。“大ヒットする製品を生み出すよりは、いくつもの製品ライフサイクルを通じて繁栄し続ける組織を築く方がはるかに価値がある”ということの喩えとして紹介された言葉です。
実は、この言葉の影響を多分に受けているのですが、せっかくこの世に生まれ、幸いにも起業に挑戦する機会に恵まれたのだから、社会にインパクトを与えるような仕組みをつくりたいと考えています。社会にインパクトを与えるほどの大事業は容易ではありませんが、同じ夢やビジョンを共有できる人が集まれば、決して不可能ではないはずです。これからも夢やビジョンを共有できる仲間と一緒に“製造業の人材育成インフラをつくる”ことに挑戦していきたいと思います。