私は実は2007年7月のアメリカのニューズウィーク日本版という雑誌で、「世界を変える社会的起業家100人」という特集があったんですけれど、その一人に選ばれました。選ばれたことは光栄ではありましたけれども、そういうこともさらに自分に対する使命感のようになっていまして、ただ単に利益 を上げていくということではなくて、そのことが、日本の第一次産業のためにとか、世界の平和のためにどういうことができるか。しかも大地を守る会に集まっ ている人たちと一緒にそのことを実現していく、という環境の中で、社会に存在していきたいというふうに、考えているわけです。
設立当初は、私たちは圧倒的に少数派でした。まだ高度経済成長の名残もありましたので、農村で農薬を使わないで農業をしようというのは、村八分に されることもあったんですね。農協の人たちとの、地域での摩擦も起きました。その中で、ほんとにわずかな農家の人たちが有機農業を展開していくわけですけ れど、例えば、自分の奥さんが妊娠して、自分の農薬をまいているハウスには入れないという気持ちがあるのに、そういう危険だとわかっているものをどうして 堂々と消費者の方達に売ることができるのかと考えた若い農家の人たちが進んで有機農業に進んで転換しましたし、篤農家という人たちは誰よりも農薬をはやく 使い始めたのですけれど、農薬を使い始めて、はじめ生産性はどんどん上がってくのですけれど、あるところから生産性は変わらなくなる。さらに強い農薬を使 わないと虫を退治できないという悪循環に、むしろぼんやりと後から農薬を使い始めた人よりも、篤農家という人たちの方が矛盾、問題にはやく気がついて、こ れではダメだ、麻薬みたいなものだと、有機農業に転換した人たちもいたんですけれど、しかし、それは少数の人たちでした。しかも、仮にそうやって無農薬で 野菜をつくったとしても、売る場所がなかったですね。市場、八百屋、スーパーマーケットもほとんどのところは、そういう農産物を虫がくっていたり、まがっ ていたり、みかけが悪かった物は、見向きもされない時代だった。そういうものをつくった人たちは細々と消費者と提携するか、自分達が食べるとかしかできなかったわけです。
状況が変わったのは、私も大きく影響されたのですけれど、有吉 佐和子さんの「複合汚染」という小説が世にでたときです。皆さんもご承知だと思いますけれど、この「複合汚染」という小説は朝日新聞で連載された小説です けれど、これが多くの消費者を変えたんですね。この複合汚染にはおおむね、次のようなことが書かれていました。戦後の日本の農業というのは、かつてのよう な牛・馬をつかう非常につらい農作業から開放された。農薬の力で草を取るというのも、そういう重労働から解放されたし、害虫、病気も抑えられて、生産量も かつての2、3倍もとれるようになった。農村もものすごく豊かになった。そのあとに、その裏で、とても大切なものを失っているんではないか。かつて農村に あった土の中のミミズ、ホタル、トンボも飛ばない農村になった。近くの森にも鳥のさえずりも聞こえない村もできてしまったと、書いてあるんですね。農薬に よって小さな生命が死に絶えている。この小動物の世界に起こっていることは、いずれ人間の世界に起こるかもしれないと書いてあったんですね。さらに農村だ けではなく、添加物に関しても書いていました。添加物の科学的な問題点も書いた上で、でも科学者たちは1つ1つの化学物質は、これは許容量はここまで使え ば安全だと、農薬もここまでだったら人体に安全だといっているけれども、でも、Aという物質とBという物質が2つあるいは3つ人体に同時に入ったときに、 体の中で複合的に汚染されていくことが解明されていないではないかと指摘したわけです。こうゆうものを人間がずっと体に入れ続けたら、農村で起こってい る、ホタルもいなくなる、ミミズもいなくなるということが、体の中に起こるかもしれない。いま起こっている例えば子供達のアトピーだとか、あるいは成人病 というものは、因果関係ははっきりしないけれど、でも食べ物が原因だといえないだろうかと、有吉 佐和子さんは、新聞小説に書いていたんですね。
ぼくもそれに影響されました。もともと私は岩手県の農村の生まれなので、ホタルがいる風景だとか、ドジョウがいる風景だとかそういうものは、目に焼き付いているんですけれど、確かに休みのときに田舎に帰ると、確かにいなくなったと思っていたんです。
そこから影響を受けて大地を守る会を立ち上げていくわけですけれど、実は、この「複合汚染」を読んだ消費者の人たちが最初の頼りになる消費者だったんです ね。最初に農村で農薬を使わないでやろうと思っている農家の方達は最初は少数派でしたけれど、しかし、「複合汚染」という小説を読んだ消費者がきっかけに なって、農家の人たちもどんどん増えていって、これがスタートだったと私は思います。
時間がないので、いきなり話を飛ばしてしまいますけれど、1月に私はキューバに行って参りました。なんでいまさらキューバなのか、今年キューバ革 命50年でチェ・ゲバラの映画もやっていますんで、実はキューバは今、有機農業という観点では技術、システムでトップレベルにあると本で読んだり、人の話 を聞いたりしたので、とりあえず見ておくことが大事だと思って、キューバに行って参りました。今日はキューバの話ではないんですけれど、どうしても言いた いので、申し上げますけれど、背景を言いますと、キューバは1959年にキューバ革命がカストロによって起きるんですけど、その際にアメリカから経済封鎖されたんですね。
私は、ゲバラ、カストロはかならずしも、マルクス、レーニンのような社会的な思想とかからキューバ革命を起こしたのではないと思ったんですけれ ど、たぶんカストロもゲバラもそこまでアメリカと対立した関係になると想定していなかったのではないか。経済封鎖が強烈なので、やむを得ずソ連圏の支援を 受けた、というのが正直なところではないか。以降、キューバは砂糖を輸出しながら、ソ連から石油、食料をもらったり、それから農薬、化学肥料、農業資材を もらって、安定的にキューバという国づくりをしていたわけですね。ところが、1991年ゴルバチョフによってソ連は崩壊しました。ソ連が崩壊した瞬間にで すね、キューバには農薬、化学肥料、農業資材が入らなくなった。いきなりストップしました。ここでアメリカはいまがチャンスと思ったんですね。カストロ政 権を倒すために、さらに経済封鎖をきつく打ってでたわけです。資料を読んでみると、ソ連崩壊の前後ではキューバの輸入総量はかなり減ったんですね。そのく らい、急激にキューバは危機に陥っています。何よりも大変だったのは、農薬、化学肥料が入ってこないということは、農業ができなくなる。アメリカと関係の 深い同盟国からも食料がはいってこない。1100万人の国民はまさに餓えに直面したんですね。そこでカストロはですね、非常事態宣言をしました。ここから がカストロという人のすごいところだと私は思っているんですけれど、まず1つは国家の研究機関・大学を、国の頭脳を総動員して肥料をつくるにはどうすれば よいか、化学肥料ではなく国中にある有機質を肥料にかえて農業ができないのか、農薬がない状態でどうやって虫や病気を退治するのか、天敵を利用する、拮抗 作物、フェロモンを利用する、輪作体系はどうなのか、雑草対策はどうなのかを国のあらゆる機関、頭脳を集めて研究に入るんですね。
一方で国民に向かって食料を作れと呼びかける。キューバの農務省に行って担当者の話を聞いて感動的だった。カストロは次のように言った。「庭のあ るものは庭に、ベランダのあるものはベランダに、屋上のあるものは屋上に野菜を作れ。公園のコンクリートをはがせ、空き地の瓦礫を取り除いてそこに野菜を 作れ。」国の空いている土地に野菜を作れと号令をかけるわけです。もしコンデンスミルクの空いている缶があれば、その空き缶に土を入れてベランダで野菜を 作れとよびかけるんですね。いろいろな制度や支援するシステムも次々と作っていった。それから十数年、キューバは1,100万人が全部餓死するかもしれな いというところまで直面したにもかかわらず、たったひとりの餓死者も出さずに私たちは生き延びたことが誇りですとキューバの農務省の担当者は言っていた。 なおかつ、「皆さんがこうして来てくれるように有機農業という技術では一番だと評価を受けるようになりました。これも私たちの誇りだ。」といっていました けれども、私から言わせると、やればできるじゃないのと。日本では有機農業なんかやったって、国民の食料をすべてまかなうことはできないと批判する人たち もいる。また、有機農業は一部の自己満足の人たちだけがやっている農業だし、それを食べる人たちも一部の自己満足で食べていると批判している人たちもいま すが、そういう人たちにはキューバを見てほしいと。キューバはそんなに豊かではないけれども、しかし1,100万の人が飢えることなくここまで生き延び て、しかも有機農業の技術という点で最も高いレベルに到達しているというのはホントにすばらしいと思った。
あとは余談ですが、キューバの農家の人の年収はお医者さんの2倍なんですね。これも驚いてしまいました。もともと、キューバの人たちはみんな公務 員みたいなものですから、月20~30ドル、年間で300ドルくらい。日本円にすると年収が4万円くらい。農家の人たちは自分が作ったもの、あるいは共同 農場で作ったものなど、農作物の8割は安い値段で国家に出して、それが配給という形で病院や学校、妊婦さんがいる施設、老人ホームなどに優先的に振り分け ながら、家庭などにも配給される。8割はそういう風に使われ、残りの2割が自分で食べるか自由市場で売っていいわけです。その部分でお金が稼げるというこ とで、農家の年収が高いと言われているらしいです。それでも、日本と比べたらなんと農業を大切にしている国だろうと思いました。それから、教育費と医療費 は国民はみんなタダですので、例えば医者になりたいと思ったら、能力とやる気さえあればだれでも医者になれる。
おもしろいのは、キューバが今外貨を稼いでいるのは、砂糖も売ってますけど、観光とニッケルと医者の輸出。医者を次々と作って海外に出している。そうい う援助とかいろんなことをして外貨を稼いでいる。ラテンアメリカ大学というのを作って、ラテンアメリカ一帯から優秀な学生を集めて、生活費や学費もタダに してそれで医者を作っては各国に送り返しているんですけれども、その入学する条件は、卒業して医者になったら、それぞれの国の大都市で金儲けなんてしない で、農村で医療活動するということの誓約書を書けと言って、書いた若者をラテンアメリカ中から集めて医者にして各国に送り返している。こういうところもよ くやっていると思う。チェルノブイリで事故が起こったとき、世界中の国々が被爆した患者を受け入れたけれども、今回行って始めてわかりましたが、キューバ が被爆した子供たちを最も受け入れていた。高度な医療技術もキューバの中ではあるので、たくさんの患者を受け入れたと言っていた。
それから人種差別は世界一ないって言っていました。スペイン系の白人もいるし、黒人もいるし、インディオ系もいるし、それぞれの混血の人もいる が、どの人に聞いてもキューバはおそらく人種差別がないのではないかと言っていた。統計上は、売春婦なし、ホームレスなし、男女差別なし、犯罪発生率はき わめて低い。ハバナ市内で殺人事件が起こるのは、年間で数件、男女関係のもつれが原因とのことなので、治安は非常に良さそうに見えました。僕は、早朝ハバ ナ市内をジョギングしたが、怖いことはなかった。よその国でちょっと危ないかなと思ったが、ハバナはそんな雰囲気は全くなくて確かに治安のいい国だなと思 いました。
で、何を申し上げたくてここまで言ったかというと、日本の有機農業は、この畑ではキャベツ、隣りはにんじん、隣りはインゲンというようにいくつかの野菜 を混ぜながら作っている農家の人が多い。それは有機農業がモノカルチャーにならないようにするためである。1つの畑で全部同じものにしてしまうと、効率は いいけど台風が来たり病気になったりすると全滅してしまうこともあるので、リスクを考えたらなるべく多様性の中で野菜を育てたほうがいいということでそう している。でも、キューバに行ってみたら日本の有機農業のレベルを遙かに超えていると思いました。ひとつの畑にですね、土の中にはにんじん、芋類、上には キャベツ、小松菜、青梗菜、インゲンもあって、間にはカボチャが這っていて、その脇にはトウモロコシがあって、トマトもなっていて、そのもっと先にはひま わりもあり、それらの間には雑草も生えているというような、これが畑かという感じであった。どうやって植えたのか聞くと、笑って、今言った種を全部まとめ て混ぜて蒔いたと、ホントはそうはしていないが、そういう気分だと言うんですね。で、収穫は大変でしょうというと、はじめから土ものを掘り出すとメチャメ チャになるので、上から順番に取って、最後に土ものを取るんだと言っていた。効率が悪いけれどもこれが一番いいんだと言っていた。確かに生産性や作業効率 を考えたら、1つのものをずっととっていったり、作ったりする方がいいと思うが、私たちは農薬も化学肥料もないので、100%とることができない。なの で、80%を目指そうと考えたらいい。ある種の害虫は、例えば黄色は好きだけど緑はだめだとか、甘いのはいいけど酸っぱいのはだめとか、光に強いのもいれ ば光が全然ダメなのもいるとか、音が大丈夫なやつもいればダメなやつもいるなど、いろんなものがいる。畑の中に、そういうインゲンやにんじんがあって、そ れぞれ好きや嫌いなものがそばにあって牽制し合っているから、こういう作り方をすると、ある害虫が大量に発生すると言うことがない。したがって、おたがい に牽制し合った作り方をして、80%くらい取れればいいという考え方だと、すごく安定感が出ると言っていた。機械も使えないとかいろいろなこともあるが、 これがまさに多様性だなと。
キューバのやっている有機農業のキーワードは多様性だなと思ったときに、そうか、カストロとゲバラがやった革命も、実は多様性だったんだと思った。ソ連 や中国のようにプロレタリア独裁とか一党独裁を目指したんじゃなくて、多様な、人もたくさん、いろんな人たちがいておおらかに共存するということを目指し たのではないか。追い詰められたとはいえ有機農業がキューバでこのような形で発展しているというのも、ある意味キューバの持っている多様性ということに対 するおおらかさのなかで、人とか動物、微生物もふくめて多様なものが共存して生きていくということをこんな形で実現しているんだなと、キューバの畑を見た ときに思った。それで、オバマが就任演説の中で訴えていた多様性、日本の有機農業の多様性とかを全部くっつけて、まさに多様性だということをキューバに行って感じて帰ってきた。
(次号に続く)
藤田 和芳
・所属・役職
大地を守る会会長、株式会社大地を守る会代表取締役社長。アジア農民元気大学理事長、100万人のキャンドルナイト呼びかけ人代表、ふるさと回帰支援センター理事、食料・農林漁業・環境フォーラム幹事、日本NPOセンター評議員。
・略歴(『ダイコン一本からの革命―環境NGOが歩んだ30年』著者紹介より抜粋)
1947年岩手県に生まれる。食と環境のつながりにいち早く注目し1975年、環境NGO(市民団体)「大地を守る会」設立。日本で最初に有機野菜の生 産・流通・消費のネットワークづくりをしながら、経済合理化を善とする文化状況に異を唱え、さまざまな運動を展開する。1977年には社会的起業のさきが けとなる「株式会社大地(現・株式会社大地を守る会)」設立。ロングライフミルク反対運動、学校給食運動、「100万人のキャンドルナイト」、「フードマ イレージキャンペーン」など、市民参加による提案型の運動を着実に進めている。
・著書・訳書など
『ダイコン一本からの革命―環境NGOが歩んだ30年』藤田 和芳著、工作舎
『農業の出番だ!―「THAT’S国産」運動のすすめ』藤田 和芳著、ダイヤモンド社
『いのちと暮らしを守る株式会社―ネットワーキング型のある生活者運動』藤田 和芳共著、学陽書房