テクノロジーマネジメント「日本型オープン・イノベーション」

ニューチャーネットワークス 福島 彰一郎 2010年2月17日

『オープン・イノベーション戦略』というキーワードが新聞・雑誌などで頻繁に聞かれるようになりました。オープン・イノベーション戦略とは、カリフォルニア大学バークレー校のオープン・イノベーションセンターで教鞭をとっているヘンリー・チェスブロー教授によって唱えられた造語です。これは『企業内部と外部のアイデアを有機的に結合させ、価値を創造すること』『企業が自社のビジネスにおいて社外のアイデアを今まで以上に活用し、未活用のアイデアを他社に今まで以上に活用してもらうこと』という考えです。

オープン・イノベーション戦略の一般的な考え方は多くの製造業において理解されているようですが、この戦略を日本企業が実行する際に実際に取り組まなければならない具体的な課題についての議論は始まったばかりのようです。例えば次のような課題があります。

課題①: オープン・イノベーションの前に、そもそも自社のビジョン・目標・基本戦略が明確になっていない。自社の戦略がないままに、社外とアライアンスしても、手間・コストだけがかかり、成果がでないケースが多いです。

課題②: 『エコ・システム』レベルのビジネスモデルを仕掛けるには、事業化段階ではなく研究開発段階からの戦略構想が必要となります。自社単独の戦略構想もおぼつかない研究開発部門がいまだ多く見られる中、『エコ・システム』レベルのビジネスモデルを構想できる技術系ビジネスリーダーは企業内にいるのでしょうか。あるいはどのように育成すべきでしょうか。

課題③: オープン・イノベーション戦略により社外を活用する場合、それに置き換えられる社内の既存の組織リストラや雇用問題にどのように対応するのでしょうか。

課題④: 社外から技術を導入する場合、その技術の開発を担当してきた技術者が人事異動となります。その際の技術者のモチベーション低下にどのように対応するのでしょうか。また一度、技術開発をストップすると技術継承ができなくなり、再び当該技術の開発をスタートすることは困難になります。そのリスクにどのように対応するのでしょうか。

課題⑤: BRICsなどの新興国は『生産拠点』から『消費拠点』に大きく変化してきています。今後、新興国メーカーとのパートナー関係をどのように設計し直すのでしょうか。

課題⑥: オープン・イノベーション戦略を実行すると人・組織面の重い課題・リスクに取り組む必要があります。それらの課題を乗り越えて、事業成長を図ろうとする気概が経営トップ層にあるのでしょうか。

このオープン・イノベーションをテーマにしたコラムでは、このような課題を具体的にどのように解決していくべきかを考えていきたいと思います。

今回のコラムでは、まず日本製造業が競争力を失った原因、オープン・イノベーション戦略の定義を説明しておきたいと思います。

■クローズド・イノベーションで競争力を失った日本の製造業

かつて日本の製造業が世界市場を席巻した分野がいくつもありました。例えば、メモリ、液晶テレビ・プラズマテレビ、太陽電池、カーナビなどです。市場が立ち上がった当初は日本の製造業が圧倒的な市場シェアを誇りましたが、メモリでは約15年、液晶テレビでは約10年、カーナビでは5年ほどで市場シェアのほとんどを新興国が占め、日本の製造業は世界市場からの撤退を余儀なくされてしまいました。その結果、日本市場に引きこもってしまっているのが現状です。

なぜこのような現象が続いているのでしょうか。その原因を考えてみましょう。

原因1: ビジネスモデルの転換ができなかったこと

市場創出段階では高い市場シェアを占めたものの、市場シェアを失っていく製品をみると、すべて『モジュール型』製品となっています。

市場創出段階においては、日本製造業の特徴である垂直統合型のビジネスモデルが強みとなりました。製品を開発・生産するために必要な技術を自社単独ですべて整えることができるため、技術・製品イノベーションを自社内で起こすことができたというわけです。当然のことながら、自社の技術に沿った市場におけるデファクトスタンダード(事実上の標準)を確立できることになります。

しかし、市場拡大に伴い、製品アーキテクチャとそのインターフェイスが標準化されてしまうと、モジュール毎の独立したイノベーションが可能になります。そのお陰で、大企業のように全ての技術を保有してない中小企業・ベンチャー企業でも特定のモジュールについてビジネスを行えるようになるわけです。特に低賃金・優遇税制にアドバンテージのある新興国メーカーが参入し、激しい価格競争が起きることになります。

それにより、高い賃金の日本の製造業は市場シェアを奪われていきました。つまり水平分業型のビジネスモデルに負けていったのでした。日本の製造業も垂直統合型のビジネスモデルを水平分業型のビジネスモデルに転換できればよかったのですが、実行出来なかったのです。垂直統合型から水平分業型のビジネスモデルへの転換は、ビジネスプロセス上の特定プロセスをリストラして、社外を活用することを意味します。これは雇用を重視する日本企業にとっては簡単に採用できる選択肢ではありません。

原因2: 日本市場を起点とした戦略からの発想転換ができなかった

日本だけでも事業を成立させるために必要な規模の市場があったこともあり、『まずは日本市場から立ち上げる。うまくいったら海外市場にも展開していく』というシナリオの戦略構想が続いてきたことがあります。

そのため、まず日本市場向けのハイエンド系の製品を海外市場に投入することになります。欧米の先進国市場では可処分所得が高いので、日本製品も受け入れられましたが、BRICsをはじめとする新興国では、可処分所得が低いため、一部の富裕層しか日本製品を購入できず、海外市場で大きなシェアを占めることはできませんでした。

一方、韓国・サムスンは、日本とは逆の戦略をとりました。もともと人口も日本の半分以下です。国内市場だけでは魅力がないため、グローバル前提の戦略発想でした。新興国市場や米国市場に注力し、それぞれの市場の習慣・文化・ニーズを研究し、その国の生活者のライフスタイルや所得に合った商品・マーケティングを展開したことで大きな売上・利益を出しています。海外におけるサムスンのブランド力は圧倒的で日本製造業は見る影もありません。結果としてサムスンの時価総額は、いまや日本の電機メーカーの時価総額合計よりも高くなってしまっています。

原因3: 自社のビジネスしか考えなかったこと

従来日本の製造業では、『自社で苦労して開発した技術・製品なのだから、市場から得られるリターンはすべて自社が独占するのが当然だ』という考えが主流だったのではないでしょうか。

それとは逆の戦略をとり、大きなリターンを得た企業があります。成功事例として頻繁に引用されるB2Bメーカーのインテルです。

1990年代初頭、PCにはPCI(周辺機器の相互接続)のバスの性能が低く、データ転送が遅くなり、MPU性能を発揮できないという問題がありました。しかし、当時のPC業界ではどのメーカーもこの問題に取り組んでいませんでした。

インテルはMPUの部品メーカーでしたが、PC業界全体の発展のためにPCIの性能アップのための開発に取り組みました。インテルの開発したPCIは他社にも無償でオープンにされ、多くのプレーヤーがパートナー企業として、インテルの開発したPCIに準拠したハード・ソフトの開発を行なったのです。さらにインテルはパートナー企業のイノベーションを促進するために、マーケティング面・技術面・資金面をサポートし、業界全体においてリーダーシップをとったのでした。

これらの取り組みにより、当時PC市場のリーディング・カンパニーであった、垂直統合型ビジネスモデルのIBMなどの市場シェアを大きく奪取することになりました。自社だけでなく、業界全体・パートナー企業のイノベーションも考えることで、市場はグローバルレベルで大きく成長し、結果としてインテルは大きなリターンを得ることになったのです。

原因4: 業界内のみの発想であったこと

同一業界内での競争意識だけが強く、業界横断的な『エコ・システム』レベルのビジネスモデルの構想ができなかったことです。

『エコ・システム』という言葉は、生物学における生態系を意味する言葉ですが、ビジネスでは、複数の業界が協調して活動し、業界全体の収益構造を維持・発展させていこうという考え方として使われます。

この成功事例としては、アップルの携帯音楽プレーヤー『iPod』のビジネスモデルが挙げられます。アップルは各音楽レーベルと提携し、インターネット経由で音楽コンテンツを購入できるアプリケーション『iTune』を開発しました。生活者はリアルな店舗まで足を運んでCDを購入しなくても、いつでもどこでもネット環境さえあれば、音楽コンテンツを容易に入手できるようになったわけです。ただし、その音楽コンテンツは基本的にiPodでないと再生できないために、音楽コンテンツと携帯音楽プレーヤーの結びつきは強くなり、携帯音楽プレーヤーというハードを単独で売っているメーカーに対して、大きな差別化を図ることができました。

このようなソフトとハードの連動という『エコ・システム』レベルのビジネスモデルによる差別化により、従来のハードのみの携帯音楽プレーヤーの市場を完全に駆逐してしまったのでした。
 

(図1)

 

原因5: トップダウン型の意思決定ができていないこと

一般的に日本企業は、ボトムアップ型、コンセンサス型組織文化が強く、トップダウン型意思決定力が弱い傾向にあります。

市場環境変化が緩やかな時代には、ビジネスモデルや組織構造も変革する必要がないので、各現場での改善を行なうことが、競争力につながります。しかし、市場環境変化が激しい場合は、トップダウンでビジネスモデルや組織構造を変革しなければ、事業機会を大きく失ってしまいます。

日本企業のトップの多くは、既存事業において結果を出したことにより評価され、トップになるのが一般的です。したがって、意思決定の経験としては、不確実性の小さい、目標・与件が明確な問題が多かったのではないでしょうか。現在の日本企業のトップの多くは、激しく変化する事業環境下において、事業や組織を大きく転換するという、目標も与件も不安定な問題について意思決定を行うことには馴れていないはずです。

こういった背景から、トップダウン型の意思決定ができていないことも原因の1つとなります。

■日本型オープン・イノベーション戦略を考えることの必要性

いま業績悪化に苦しむ日本の製造業においては、海外企業に成功をもたらした戦略である『オープン・イノベーション戦略』への関心が現在、非常に高くなっています。

今後のグローバルレベルのマクロ市場トレンドを見ても、例えば『情報知識の爆発的な増大への対応』『エネルギー・資源・環境・食料・パンデミック(感染)の「有限な地球」のもたらす問題の増大』『先進国の少子高齢化への対応』『BRICsをはじめとする新興国の急激な経済的なキャッチアップ』というトレンドがあります。これらのどれを見ても、変化が激しく、また自社単独の経営資源で対応できるものではありません。他社を活用するオープン・イノベーション戦略はますます必須になるばかりです。

しかし、欧米企業が得意とするオープン・イノベーション戦略をそのまま日本製造業が真似しても、うまくいかないのではないでしょうか。なぜなら日本企業と欧米企業とでは、人・組織などの面で大きく状況が異なるからです。先にも触れましたが、なんともいっても一番の問題は、外部を活用するということは、いままで自前でやってきた業務をリストラすることになるということです。長期雇用を前提とする日本企業ではやりにくいはずです。またグローバルレベルで社外の多様なパートナー企業をマネジメントできる人材は育成されているのでしょうか。特に技術者の中にそういった人材はいるのでしょうか。技術的専門知識をもち多様性をマネジメントできる人材は欧米のほうが多そうです。

欧米のカタカナ用語のマネジメント手法をそのまま真似するのではなく、日本製造業の実情に合った、日本製造業ならではの『「日本型」オープン・イノベーション戦略』を自ら考える必要があります。

■2つの視点からオープン・イノベーション戦略を考える

冒頭に申し上げたように、日本におけるオープン・イノベーション戦略への関心は高くなっています。しかし、その議論の内容は抽象的であり、実務家にとって有用な、実践的な内容まで議論がされていません。あるいは技術開発や知財を中心とした議論が多く、ビジネス全体としてはバランスがとれていない偏った議論もみられます。技術開発だけのオープン・イノベーションであれば、従来の戦略と大差ないのではないでしょうか?製品、そして事業段階までつなげた議論が重要なはずです。

ここで日本型のオープン・イノベーションを考えていくにあたって、弊社が考えるオープン・イノベーション戦略を改めて定義しておきたいと思います。オープン・イノベーション戦略を考えるときには2つの視点をもつことが重要です。1つ目は、事業開発プロセスに沿った視点です(図2)。2つめは事業立ち上げ後のビジネスモデルの視点です(図3)。

事業開発プロセスの視点では、『1.研究開発段階』『2.製品開発段階』『3.市場創造・浸透、量産化段階』の3つのステージに大きくわけて考えます。どのステージにおいても、社外の経営資源やイノベーションを活用できる戦略が考えられます。例えば、『1.研究開発段階』ではライセンスや共同研究、『2.製品開発段階』では、外部から製品アイデアを導入、『3.市場創造・浸透、量産化段階』では、生産アウトソーシングなどがあります。一方で、社内の活動で得られた技術やアイデア、ノウハウなどの成果を社外に提供して、財務的なリターンを得ることも可能です。

2つ目の事業立ち上げ後のビジネスモデルの視点では、事業化された際のビジネスモデル自体の視点です。社外とのアライアンス・M&Aにより、自社単独では対応しきれないビジネスプロセス部分の補完・シナジーを狙います。ポイントは、ステージ1から3は、それぞれ個別に考えるのではなく、一貫して考えるということです。特にステージ1の研究開発段階においては、常に最終的なビジネスモデルのことを考えながら、研究開発活動を行なうことが必要となります。研究開発段階は、ステージ2とステージ3に比べて戦略の自由度が高いからです。
 

(図2)
 

(図3)

 

次回以降の当テーマのコラムでは、事業開発プロセスの視点およびビジネスモデル視点について各論を説明していきたいと思います。そして、日本企業がオープン・イノベーション戦略を実行する際に今後取り組まなければならない課題について考えていきたいと思います。

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